- (株)マツオ[滝川市] 代表取締役社長 松尾 吉洋 氏
"三方善し"の理念をベースに、
受け継いだ資産の価値を向上
「松尾ジンギスカン」とはどんなもの?
と価値規定の共有を図りました。
創業から60年余、おかげさまで松尾ジンギスカンは北海道民の90%以上がご存知というアンケート結果をいただいていますが、副社長に就任した当初は、従業員が思う当社のブランド価値がそれぞれ異なっていて、価値規定の共有ができていなかった。「当社のブランド価値や想いを明文化し共有することにより、心を1つに同じ方向に向かっていかなければならない。そのためにはブランドの再構築をすべきだ」と考えて、2012年にプロジェクトを立ち上げました。
全従業員やお客様へのアンケートをもとに「ブランド価値規定」を設定。それをもとに松尾ジンギスカンの「ブランドプロミス」を作りました。1年かけて作り上げたブランド価値規定を、当社の想いを全て盛り込んだ「ブランドプロミス」を通して全従業員に浸透させていきました。
お客様への取り組みとしては、ブランド価値規定をイラスト化した「ブランドコンセプトブック」を制作しました。更に、VI(ビジュアル・アイデンティティ)、CI(コーポレート・アイデンティティ)を整理。メインビジネスである松尾ジンギスカンには「まる松」のロゴを徹底的に打ち出し、多事業を束ねる企業としてのマツオには「緑の松」のロゴを。2015年には商品パッケージ・包装資材も一新し、2017年の日本パッケージ大賞VI、CI部門で銀賞に輝きました。
また、これまで「まつじん」として展開していた一部の直営レストランを、すべて「松尾ジンギスカン」に統一。これは、道外のお客様の認知が「まつじん」=「松尾ジンギスカン」と結びついてないことを知り、改めて商品名と店舗名を一致させました。これらのように、先代から受け継いだ資産を改めて整理したうえで、ブラッシュアップを図りました。
マツオって、いつも面白いことやって
いるよね、と言われたい。
2010年に、東京で初のレストランを銀座にオープン。応援していただけたのは北海道出身の方たちで、「なにぃ松尾が銀座だと?行ってやろう!」と(笑)。別の場所で始めて順に銀座へ登りつめていくのではなく、まず銀座にどん!と進出することのインパクトが重要ではないかと考えました。
新千歳空港に2006年に出店したときは「飛行機に乗る前に匂いのつくものを食べないのでは?」と言われましたが、おかげさまで、コロナ禍や震災を除けば売り上げが前年に負けたことがありません。2015年には空港内にもう一店舗、調理した状態で提供するフードコート店を出店しました。気軽に食べられるメリットがあり、本格的に食べたいなら従来店へ、との住み分け戦略で双方の売り上げが伸びています。
ブランドパーソナリティとして大切にしているのは、ユニークさやこだわり、面白さ。「マツオってなんかいつも面白いことやっているよね」と楽しんでもらうことを常に大事にしています。松尾ジンギスカン風味のポテチや亀田の柿の種“松尾ジンギスカンのたれ風味”なども好評です(笑)
悔しいけれど……羊肉の美味しさを
更に発信していく夢を白紙に。
今回のコロナ禍において、フレンチをベースとしたこだわりの羊肉料理専門店の出店計画を白紙に戻したのは苦しい決断でした。「松尾めん羊牧場」のサフォークと、世界の羊を様々な料理で味わっていただく予定でした。ジンギスカンだけでない羊肉の本当の美味しさを発信するのが自社牧場を開設した時の僕の夢でしたから。6月オープン予定が、4月の半ばで既に「ここで決断しないと後戻りができず、大変ことになる」と判断。すでに着工していた内装をスケルトンに戻して出店中止の決断をしました。本当に残念な思いですが、いつかどこかで必ずこの夢は実現させたいと思います!
このコロナ禍でレストラン事業は苦戦していますが、もう一方の柱であるメーカーとしてのパッケージ販売は順調で、家でジンギスカンをする方が増えたこともありネット通販がものすごく伸び、助けられました。工場は休業日をまじえながら日を限って稼働しているのですが、逆に集中的に工夫をして生産に特化すれば、これだけの生産性が達成できるという気づきもあって。数年後、「コロナで大変な目にあったけれど、あの危機があったからこそ工場やレストランを含む全社的な生産性の向上の取り組みが進み、今ではより筋肉質になれたね」と思えるかもしれない。高くジャンプするにはしゃがむことも必要だったよねと。
「三方善し」の理念を胸に、
地元に愛され続けたい。
僕の座右の銘であり、会社の理念は「三方善し」。高校時代に知ったこの言葉は、くしくも祖父がしてきたことと同じです。地元を大事にし、地域への謝恩・還元を積極的にやっていて、「なんぼ儲かると考えるな。満足してもらうことを考えろ。満足して喜んでもらえたら自然と利益は後からついてくる」という考えでした。三方善しという言葉を知っていたかどうか分かりませんが、まさに買い手善し、売り手善し、世間善し、で。祖父の姿勢はこれだよな、と。目先の利益ではなく、80周年100周年を迎えるための持続可能な経営に重要なことだと考え、社長に就任したとき全従業員にこの理念の冊子を配りました。
お客様アンケートで多かったのが、松尾ジンギスカンは「行事や家族との楽しい思い出と結びついてる」という回答でした。松尾ジンギスカンのブランドプロミスでは“家族や仲間との思い出作りに貢献し続けること”と明文化し、すべての従業員とともに共有しています。その実現のための取り組みとして2015年から滝川の全小中学校で夏休み直前に「松尾ジンギスカン給食の日」を設けていただき、全量を無償で提供させていただいています。
毎年対象地域を拡大し、2019年には滝川を含む中空知の6市町、6000名の子供たちに提供しました。「松尾の給食の後は夏休みだったなあ」と思い出してもらえると嬉しいですね。次の世代にジンギスカンの食文化を残していくためには子供向けの取り組みは重要だと思っていて、小学生向けに出前ジンギスカン食育教室なども開催しています。めざすところはあくまでも、北海道の皆さんに愛されてなんぼ。「次の世代に繋げていきたい」という思いは、強くあります。
アトツギへのMessage
生き残るにはスクラップも必要。
でも、後継ぎは恵まれている。
新しいチャレンジは簡単です、それはもう、たたむことに比べたら…。社長就任以来、時代に合わない事業のスクラップを行ってきました。特に団体旅行向けの観光部門は父が生前に力を注いでいた事業でしたから、ものすごく苦しかった。でも、あえて何かをやめて新しいものにチャレンジする、これもまたベンチャーだと思っています。
結局、閉めたのは7店舗。すべて直接自分の言葉で従業員の皆さんには説明をさせてもらいました。
コロナ禍で成長戦略の根底がひっくり返った世の中、中小企業は、事業承継さえできればいいわけではなく、ある程度の淘汰…適正な統廃合をして生産性を上げていかないと、この国を支えられないと思います。スクラップしなきゃいけないときには、する覚悟が必要。継がないという選択肢があってもいい。M&Aで他者に託して残すのも手ですから。
逆に、リモートワークやネット通販の更なる普及で業種によっては「地方でもやれる」チャンスが出てきた時代でもあるので、東京中心でなくても可能性は見出せる。ゼロからでなく家業を引き継いでのスタートは、「うちはこれで生きていける!」という武器やビジョンを持って進むのであれば、こんなに恵まれたことはない。つまり事業承継には「どっちの面もあるよ」というメッセージ送りたいと思います。
- 松尾吉洋
- 1974年、滝川市生まれ。早稲田大学在学中に父・松尾政徳氏が急逝したことから、帰郷して株式会社マツオに入社、2014年に代表取締役に就任。直営店の道外進出、新業態の開発、M&Aを積極的に推し進めてきたほか、メインブランド「松尾ジンギスカン」のリブランディングや従業員の意識向上などを通し、受け継いだ資産のブラッシュアップに力を注いでいる。
会社概要
- 食肉製造・販売、飲食業
株式会社マツオ - 滝川市流通団地1丁目6番12号https://corp.matsuo1956.jp
- 1956年、創業者・松尾政治氏によって「松尾羊肉専門店」開業。1961年「松尾羊肉有限会社」設立。1972年に株式会社に移行し、1996年に「株式会社マツオ」に社名変更。味付きジンギスカン「松尾ジンギスカン」を製造・販売するほか、札幌を中心とする道内、新千歳空港、東京に直営レストランを展開している。