若手後継者が、先代が築いてきた経営資源を活用し、
リスクや障壁に果敢に立ち向かいながら、新規事業、業態転換、新市場開拓など、
新たな領域に挑戦することで社会に新たな価値を生み出すこと。
こうした取り組みを「アトツギベンチャー」と定義し、
後継者(アトツギ)の挑戦をベンチャーと位置付けることにより、
若手アトツギに関心を持ってもらい既存企業のイノベーションを促していきたいと考えています。
「先代が築いてきた経営資源には様々な可能性があり、チャンスがある。
後継者がイノベーションを起こすんだ」
当局では、アトツギベンチャーに関心がある若い世代に向けて、
先進事例や支援メニューを発信しています。
2024/07/02
2024/03/19
2023/05/08
2023/03/22
2022/03/10
2022/02/28
2022/01/11
2021/09/14
2021/06/02
事業承継支援メニューを更新しました。
2021/04/19
2021/04/19
2020/12/04
特設サイトを公開しました。
今日はよろしくお願いします。はじめに、家業を継ぐと決めた経緯を教えてください。
(以下、全員敬称略)
杉本 「社長」なら、自由に仕事できるかもと思ったからですね。大学生のときネットビジネスを手がけて、自分で稼ぐ働き方が向いていると確信。自分の意思で進められる「社長」は合っているかもしれないと思い、家業を継ごうと決めました。
富山 僕は初め継ぐことは考えておらず、就職は東京で商社の営業マンでした。それが突然30歳のとき父から「そろそろ(継ぐのは)どうだ」と。前職の商社では小売業者がお客様で、僕に最終消費者へ商品を勧める決定権がないのが歯がゆかった。その点うちは小売業。対お客様に直接アプローチできるのは魅力的だと思いました。それに30歳になって、社会人として転機を考えるときでしょう?
一同 ありますね!あるある!
富山 ですよね。社会人経験があり、見えてくるものもある年齢で。やってみようと。
山上 その点、うちは子供の頃から創業者の祖父母にことあるごとに「三代目」と言われて育ったので、何となく意識していました。ところが親父は今でも「継いでくれと俺は頼んでない」という感じですから、最初は名古屋の工作機械メーカーに就職。設計者として海外へ行く機会が多かったですが、現地では「お前たちの機械はすごくいい。日本人はすごい」と、メイドインジャパンへの信頼度がすごかった。じゃあうちの親父もクオリティの高い家具を作っているので、何かできるのではないか?と考え始め、30歳のとき妻子とUターンしました。
やはり「30歳」なんですね。
山上 ええ。〝すごい日本人〟としての根拠のない自信で(笑)うちも世界で戦えるんじゃないかと。誰にでもチャンスがある時代ですし。
梅木 僕の場合は、まず故郷・月形町のマチおこしをしたい想いが根幹にあり、そこに家業があったのが正直な話です。富良野市の中学校の数学教師でしたが、担任した子どもたちを卒業させた後、次の目標が見出せなくて。そんなとき帰省で地元の寂れた様子と、某情報誌の空知特集に月形町の紹介がないのを見て、悔しくて!俺が何とかするぞと燃え、父に「継ぎたい」と話しました。
後継ぎである皆さんと、先代との親子関係は興味深そうですね。
富山 関係はいいと思いますよ。意見がぶつかっても引きずらず、最終的には新規事業も応援してくれる。親子だから言えることもあり、公私使い分けながらやっています。父はとても好奇心が強く、僕がAIの会社を始めたらAIのことを知ろうとするし、新型コロナで帰国できない外国人社員のためにイベントを企画したら、「俺も」と言って参加して。言葉もわからないのに、その姿勢がすごいと思いました。
杉本 うちの父はグイグイ表に出て行くタイプじゃなく、会社でもいつも社長室にいる感じです。継ぎたいと言ったときは、「じゃあ修行に行ってこい」と言ってくれて。同業他社で1年学んで、うちに入社しました。その後、私に指示や指導もなく、どうしたらいいだろうと最初は戸惑ったものの、まあ自由にやっていいんだと。
山上 うちはもう父子関係、最悪で(一同爆笑)しょっちゅうぶつかるし、お前が一番のストレスだと言われます。親父はザ・職人。時代に合わない考え方もある。何かチャレンジしたいと言っても取りあってくれなくて、東京2020オリンピックのメダルケース製作は父から「絶対に通るわけがない」と言われながら応募しました。
一同 ええっ!?(笑)
山上 1次審査を通過したときに、次は立体検査だと言ったら「そんなの絶対通るわけねえ」と。悔しいから寝ないで頑張って作って…。ついに「落札」の通知を見せたら、親父は最初「落」の字を勘違いして、「ほら落ちたじゃねえか」。「違うよ、受かったんだよ!」「??…おおーっ!!」と両手を挙げたのは今でも憶えています。実は、あの快挙は親父の力なくしては成し得なかった。メダルケースの藍色の塗装は父にしかできない。やっぱりすごいなとつくづく思いましたね。親子関係は今も悪いですが(笑)
(株式会社山上木工)
家業を継いだときは何かご苦労がありましたか?
梅木 仕事に関して父からアドバイスなどはなくて、これが辛いといえば辛い。後継ぎって結構、孤独じゃないですか。自分は今一番下の立場だけど将来的には社長になるわけで、従業員との関係とか気を使うけど、どうすればいいのか。また、新しいことを始めようとすれば当然不安もあり、社内で誰に相談するか、誰が味方になってくれるのか、見極められなくて。
山上 僕は入社した時から新しいことにチャレンジして、とにかく一生懸命やっている姿を見てもらえるように意識していました。そうすると、社内で少しずつ認めてもらえるようになり、いろいろ教えてくれるようになって。最近は僕が採用したスタッフも半分以上になりましたから、社内での信用度は上がってきたと思う。それに津別町には、同じような後継ぎが情報交換できる環境が整っていて、孤独感は少ないかも。
梅木 確かに、今はインターネットがあるので、例えば34歳未満の後継ぎが参加できるオンラインサロンで話ができたりとか、刺激を受けたりできますね。Zoomで話し合いに簡単に参加できて、様々な情報をすぐ入手できるのはありがたいです!不安の分散になります。
富山 孤独の問題は、後継ぎというか経営者であれば必ずありますよね。入社したての時は僕も父の番頭役の古参社員とぶつかっていました。それでも、やらねばならないという気持ちのほうが強かった。そのうち実感したのは、やる!と宣言し行動すれば、誰かが付いてきてくれるということでした。
杉本 私も入社から3年間は人間関係がしんどくて吐きそうになっていました。社員数人といつもぶつかって。でも、しんどかったけれど、ぶつかるのがちょっと自分の中でモチベーションになることもあるんです。見てろよ、みたいな脳内変換をしてマイナスのエネルギーをプラスに変えるというか。
皆さんが果敢に新規事業に挑戦するのは、「やってやるぜ」の気持ちからでしょうか。
一同 めちゃめちゃありますね。それしかない(笑)
では、そんな皆さんの新規事業についてお聞きします。
富山 本業の強化に10年間を費やしましたが、これ以上の成長はないなと見切ったとき新規事業に踏み出しました。例えば北海道共通ポイントカード「EZOCA(エゾカ)」とか。新規事業には外から人材をスカウトして新しい会社を作っていたので、社内では「あいつ何をやっているんだろう」と見られていましたね。古参社員の中には、本業の小売業を変えるつもりなのか、今までやってきたことを否定するのかと、反発というか受け入れられない感じが結構多かった。ですので、結果が出やすそうなところから取り組んで成果を見せ、少しずつ賛同者を増やしていったんですよ。
(サツドラホールディングス株式会社)
山上 素晴らしいですね。とても参考になります。僕は杉本社長のカッコいいキャンプ用品「TRIPATH PRODUCTS」に興味があるんですが、ご自身がブランディングされたんですか?
杉本 私ではなく、外部からその分野に長けた人に入ってもらいました。私は何をやるべきか、面白い事業ができればいいなと大枠を決めて、昨年の4月に始動。家業である高い金属加工技術を活かし、デザインも社内でやっています。一般受けするよう、北海道らしさや親しみやすさを加え、商品名も「グルグル・ファイヤー」などちょっとユーモアのある感じに。おかげさまで最近では「うちの商品もデザインして」とOEMのお問い合わせも増え、皆様も知っているような大手メーカーからの委託実績もあるんです。
杉本 本業は需要が限られていくと考えているため、自力で成長できる新規事業は重要視しています。これからも例えば医療やインテリアなど分野を増やしていき、10年後には自社ブランドで10億円の売り上げを目標にしています。
(株式会社トリパス)
山上 僕はまだ社長ではなく専務の立場ですが、いろいろと動き出しています。1つには、親父が9年前に立ち上げた「ISU-WORKS(イスワークス)」というブランドですが、僕が7年前に戻ったときには販売がスタートしたばかりということもあり、年間で80脚ほどしか売れてなかったのですが、積極的に国内のほか海外向けにもしっかりプロモーションしたら、今では1200脚も売れています。職人の世界は経験がものを言うので、まだ見習い中の僕がいいとこ見せられるのは、売り方くらい。あと3カ国ぐらいには展開していきたい。
2つ目には、新会社を設立し家具のサブスク事業、貿易仲介事業、木工をベースとしたR&D(研究開発)を行うことにチャレンジしています。
家具のサブスクはオホーツク地域の方々に我々の製作する家具を生活に取り入れやすい価格帯で利用していただくことにより、地元に小さな豊かさや幸せを届けていきたいと考えています。また貿易仲介事業に関しては既に当社が海外に輸出をしていますが、他の事業者さんとも一緒に「道東を輸出し、世界にアピールしていく」という目標で活動しています。
梅木 僕はまだ何も始まってないんですよね…。ガーデナーである母の協力のもとエディブル・フラワーの生産・販売を企画して、昨年「スタ★アトピッチJapan」コンテストに応募したところ、全国ファイナリストに。
廃校を利用して植物工場を作って、さあ今年の4月から本格的に!と意気込んでいたらコロナ禍で…。計画がストップしている状態です。
梅木 エディブル・フラワーは市場の9割が愛知県豊橋市産で、北海道に入荷されるまでに2日はかかる。これを月形町で作れたら鮮度もいいし、植物工場なら路地のように虫もつかず、季節に関係なく生産・出荷ができます。この事業にはもう1つ想いがあって、月形町は昔は花農家が多い「花の里」だったんですよ。ところが今では看板に文字として残っているだけ。ですから“花のマチ”おこしの意味もあるんです!
皆さんもコロナ禍の影響はあると思いますが、どのように対応されていますか?
杉本 本業の春先の売り上げは約2割ダウンしましたが、キャンプが流行ったおかげで、それを補えるくらいキャンプ用品が売れました。あと月並みですが、デジタルマーケティングのほうに力を入れ始めました。
富山 うちもインバウンドがゼロになり、一時期はすごく売上が落ちましたが、チャンスが広がったなとも思っているんです。
1つは、プログラミングの教育事業。小中学生向けを大人にまで広げてスクールを始めるんですが、オンラインで完結するので札幌だけでなく全道展開が可能に。また、フィットネス事業では、パーソナルレッスンをオンラインで。Wi-Fi事業は、新型コロナが起きたとき「これは伸びるぞ」と思い、前倒しでスタート。
うちはBtoCの小売とBtoBと両方やっているのが特徴的なグループ体ですし、7つの事業も多岐に渡っているけれど実は全て絡み合ってると言いますか。対企業・対自治体に営業する際に「これもあります、さらにこれも」と、「面」で訴求できる強みがあるんです。さらにAIでは、開発して今年2月に発売予定だった商品が、新型コロナの影響で頓挫しましたが発想を転換。密を解消するための混雑検知とマスク検知のシステムに変更して商品化できたんです。
先見の明と、切り替えの早さの勝利ですね。
山上 うちも新型コロナでは忙しかったですよ。在宅が長くなると、人は必然的にいいものに囲まれたくなるんですね。シェアを広げていくチャンス。パラダイムシフトが起こっているときは、チャンスしかないと言ってもいい。「うちの商品はこんなに認められるものなんだ」と、若い従業員が実感するいい機会にもなったと思います。
梅木 本業にはあまり影響がありませんでしたが、一番の影響は、エディブル・フラワーがストップしたこと(苦笑) でも皆さんのお話を聞いていたら「コロナ禍だからこそやったほうがいいかも!」と思えてきました。今動いていたら、終息したときにいち早くチャンスがつかめるんじゃないか、と。
山上 そうですよ、私が新会社を立ち上げたのも4月で、コロナで世界が変わるぞと騒がれていた渦中。最悪のときに起業すればあとはもう上がるのみですよ。
富山・杉本 やっちゃいましょ。ぜひ!
梅木 明日から、すぐ始めます!(笑)
最後に、これから挑戦を始める「アトツギ」の皆さんへアドバイスをお願いします。
杉本 家業に魅力を感じない、なんて考えず、入ってみたらいいと思います。継いだら、やがて自分の好きなことができる道は拓けていくので、希望を持って。
富山 自分らしくやれるのが一番ですよ。守るものがあるってよく言いますけど、この時代、同じビジネスモデルが20年続かないと言われている。ということは創業者だろうが何代目だろうが、20年以内にビジネスモデルを変えられない企業はなくなる。それなら、好きなようにやるのが一番じゃないかな。
山上 日本は99%が中小企業です。つまり、僕らが日本を支えているなんて、ロマンですよね。「後継ぎ」は誰もが得られるポジションではないのだから、思い切って、ルーツのある地元に戻ってほしいなと思う。外で得た経験や考え方は必ず役に立つし、新しいことにチャレンジする強い思いがあれば大丈夫。
梅木 僕は、これから一緒にチャレンジしていきましょうと言いたい。人生百年時代で、チャレンジしない人生なんて単純につまらないですよ。何かを守ろうとすると実は何も守れてないことも多い。挑戦して何か変えたことが結局守ることになったり。あと、後継ぎに限らず若い人たちでも、北海道って、チャレンジする人、少なくないですか?
一同 そうなんですよ!(賛同の声で強くうなずく)
梅木 僕が今日この場にいられるのは、チャレンジして決勝戦に出たから。なら、もっと積極的に挑める人はもっと可能性が拓けるんじゃないのかな。
富山 そう、“ブルーオーシャン”ですよね、北海道は。チャンスがいっぱいある。
一同 (口々に)ですよね。もったいない!ぜひ挑戦を!
東間 皆さん、熱いエールありがとうございます!北海道は全国で最も後継者不在率が高く、私自身、次世代を担う若手後継者の溢れる事業欲なくして、北海道経済の再生・持続的発展はないと考えています。
経済産業省北海道経済産業局では、事業承継推進・地域経済の活性化を目的として、地域に根付いている企業の後継ぎをベンチャーの卵として支援し、若手後継者の「継ぎたい、挑戦したい」という想いに応えていきます。
皆さん、今日は貴重なお話をありがとうございました。