(有)神馬建設[浦河町]代表取締役 神馬 充匡 氏

〝イエの困りごと〟の解決を通し、
地域の「らしさ」を守り繋げる工務店であれ。

有限会社 神馬建設 代表取締役 神馬 充匡さん

“ちゃんと親父の仕事を見てるか?”
の言葉に、30歳で帰郷を決意。

 大手に勤めていた29 歳の頃、少し思うところあり、転職を考えました。公共事業に関わっていたんですが、一生懸命に造ったものが計画変更で翌年に取り壊されたり、地元住民から「なんで造るんだ」と反発されたり。さらには、発注側の責任者が事業に否定的な発言をするのを聞いて、悶々としてしまって。

 飲食業の就活をしたものの、29歳・未経験者の僕では満足な額の給料をもらえないと分かり、社会の甘くなさを痛感。やっぱり土木の道だと腹をくくったんですが、決定的なきっかけは30歳の年末の帰省でした。

 地元のスナックで常連から、「おお、神馬建設の息子じゃないか。お前、ちゃんと親父の仕事を見てるか?」と言われて、「見てないかもですねえ」と軽く流したら、「俺がこういう家が欲しいと言ったら、お前の親父はそれ以上のもの造ってくれるんだぞ?ちゃんと見ろよ!」と。その言葉にふれて、「帰ってこよう」と思ったんですよね。「継ごう」、と。

 若い頃は、「敷かれたレールに乗る」ってのが嫌でしたが、社会で働くうちに「承継はレールに乗ることではない。今まで引いてある上に乗るが、要はこの先を自分がどう創っていくかだ」という認識になっていたのも大きかったです。

インタビューの様子1

職人で経営者の父のすごさを実感しつつ、
トップダウン禁止の“組織化”を推進。

 先代(父・武彦氏)は昔から「お前の人生なんだから好きにせい」と言っていたので、「戻って継ぐ」と告げたときも「そうか」くらいの反応でした。でも、内心は喜んでいたと思います。衝突はそれなりにありましたが、互いの意見の出し合い・ぶつけ合いという感じでしたね。

 8年くらい一緒に働いたのち、持病の激変で先代は65歳で急逝。実は65歳で引退してもらって会長職に上げようという計画で準備してたんですが、亡くなって代替わりという結果に…。

 準備の筆頭は、「組織化」です。今までは父が現場も社内(経営)も見て、指示を出して、というトップダウン式。職人社長なのでそれが可能でしたが、僕は違う。土木と建築はかなり違い、建築を知らない僕がどう社長をやるかと考えたとき、組織化しないとまずいな、必須だなと結論したんです。

 そこで、戻る前に、地元でずっとフリーランスの現場監督をしていた、現在の部長・上戸孝治さんをスカウトしました。ウチ(神馬建設)の“右腕”といえる存在で、その彼と組織化を推進して、先代に「現場に行かない」「トップダウンで指示しない」をお願いしましたが、やっちゃうんです(笑)。先代が自分でしなくても安心できる状態にするまでが、けっこう大変でした。

 継承して感じた先代のすごさは、現場と会社の両立です。最初は僕も「なんだ、できるじゃん」て感じでしたが、徐々に不具合が出て現場も経営もえらいことに。当初の順調は自分の力ではなく、先代がやってきたことの惰性で叶っていたのだと実感しました。

インタビューの様子2

セミナーやコンサルを活用し、
管理会計を学び、社のMVVを整備。

 僕が社長になって一番変えたのは、財務管理です。建設業ってどんぶり勘定に近い感覚で、最後に「あれ??」みたいなことがよくある。要は、管理会計ができていなかった。そこで日高信用金庫のセミナーに参加して学んでみたら、「財務って全然違うわ!」となって(笑)。今はかなり改善化されました。

 次に、明確にMVVを掲げました。この考え方も、ウチに入っている中小企業向けコンサル会社から学びました。僕と部長で「M(mission&purpose):地域のイエに関する困りごとの解決」「V(vision):イエづくりを通じたコミュニティの創出」「V(value):関わる全ての人々の心と身体を豊かにする」をまとめ、最初はバリューを企業理念として、「イエは、造るだけではないよね?自分たちがなぜここでやっていくか。うちが必要とされるのはどういうことか考えて」と、社員に説いていました。

 それをふまえて、ミッションとパーパス。人は、建具の閉まりにくさとかほんの小さな困りごとの積み重ねで、「住みにくいわあ」となり、「住みにくいわあ」が溜まると、町から出て行っちゃうんです。「もう歳だし、施設入るわ」「子供たちのとこ行くわ」と。

 なので、解決する僕たち工務店が衰退すると、イエの困りごとが増え、住みにくくなり、人口が減り、社会的インフラが減る。子供を産める病院や学校も減れば、若い世代もいなくなってしまう。それを防ぎたい。

 イエの困りごとの解決をすることで、少なくとも今の状態よりも少しはいい状態を保つことがミッションと信じて取り組んでいます。

※2022年より日高信用金庫が主催する、若手経営者や後継者向けセミナー「次世代経営人材育成支援プログラム」。決算書の読み方やマーケティング手法などを学びながら、対象者同士の横のつながりを広めることを目的とする。

「家」ではなく「イエ」という呼び方に
「住まうこと」「帰る場所」の想いを込めて。

 当社で家のことを「イエ」というのは、単なる建物ではなく、住むために在り、帰り着く場所として在るのが、イエだから。そこに「住まう・暮らし続ける」わけなんで、長く住めることに関する責任は大きい。工務店は、ただ建てて売る・壊してまた建てる、という存在ではない。グローバルな脱炭素問題の観点からも、それは望ましくない。なので、住み続けるお手伝いができる地場の工務店の存在価値は、めちゃめちゃ高いと思うんですよね。

 地域に根ざしてきたことの強みは、その土地のことをよく知っている点です。地震や災害の時、何か起きるのは、無理やり造成した所や地盤・土壌が悪かった土地。浦河は地震の多い地域です。本当にここに建てていいのか、新たに建てる必要があるのかなど、僕らならそういう話ができる。70歳の棟梁とか、ずっとこの辺を知っている彼らの知見で、地域のために意見ができるってのは大きいことだと思う。

 そんなことも含め、「ウチのイエづくりってこうだよ」というのを、ホームページやニュースレターなどで細かく発信しています。知って、来てもらって、話してみて、価値観が合えば、お互いにとってのいいイエづくりができるし、特に若者に対して魅力づけできれば将来「一緒に暮らす人」になってもらえる可能性がある。ウチで働くのでなくても、移住者としてこの町でイキイキわくわく暮らしていくかもしれない。それで、外への発信を多めにしていますし、学生のインターンシップでは、建築学科の子に限らず来てもらっています。彼らがこの町で何かを体験して感じてたことで、将来もしかしてアトツギになるかもしれないし、そうでなくても、浦河での体験が後に「これを考えるきっかけになったんです」と何かの成果に結びついてくれたら御の字です。

ニュースレター、HP発信
紙媒体と会社HPの両面から、社長や会社の考え方を逐一発信

想いの共有とコミュニケーションのため
3行・3枚に評価や感謝を綴る

 僕の考えや会社の計画を社員に話す機会を毎月設けていまして、内容が多いときは冊子にして渡して話します。1対1の面談も去年から始めたんですが、総じて出てくる問題っていうのもあって、ああやっぱり、話さなきゃわかんないなって思いますね。その際に、MVVやコアバリューというクレド(心がけるべき行動指針)になぞらえた話をすることもあり、それによって理解を深めてもらい、染み込ませてるところです。

 とはいえ僕もだんだん経営のほうにシフトし、現場との距離感が出てきていて。話す時間を設けるのが難しいので、春からは「週3行」っていうのを始める予定です。各自が同僚に対して “こういうところがいい”とか、感謝する点などを3行で書いて提出してもらう。一方、僕は3枚分で書いた「週3枚」を用意し、一緒に配る。それを読むことで、会社の思いやみんなの思いを共有できる。この取り組みは、ある同業者を手本にしました。

 ウチは小さい会社で、組織としてはまだ未熟。なので僕自身もいろいろな工務店に学びに行って交流し、いいところは取り入れています。より良く住むにはやっぱりデザインも大事だよなとか、庭とかも含めて計画できる会社はすごいなあとか。そして学んだ結果を、この地域にうまくアジャストさせることが必要だと思っています。

社員集合
思いに共感したメンバーが集まることで、結束力の高い会社に

キャリアパスを明確にした制度で
次代をみすえた人材育成をめざす

 ウチの特長は、キャリアパスを明確にしたキャリアアップ制度があることですね。これは、僕が雇われる側だったとき「その評価は何が基準?」という疑問がよくあったので、明文化すれば、それがなくなるかなと。「あなたからこういう成果をもらいたいんです」って話をしながら、双方の行き違いがなくレベルアップが叶うかたちに整えていきたいと思っています。

 理想的にはオールトップマネジメントで、みんなが何かしらのリーダーになり、その人がサブリーダーを指導して後釜に据え、自分はさらに違うところへ行く、というかたちで権限委譲と人づくりをめざしたい。委譲するには、思想が共通していないとギャップが起きてしまう。なので、MVVとコアバリューを作った。“これに沿ってさえいれば、あとは自由です、責任「感」を持ってやってください”とみんなに言っています。「感」でいいんです。責任を取るのは取締役の仕事だから。「そうやって委譲しながら人づくりをしていけば、3ヶ月くらい社長が不在でも、会社は成長するんだよ」が謳い文句です。

キャリアパス
キャリアパスを明確にして、誰でも見られる会社HPに掲載

地元「らしさ」を言葉やかたちにして
魅力的な「らしさ」を次世代に渡す

 僕は、イエに求めるのが「住まうことである」という、価値観が同じ人たちと仕事をしたい。同じ価値観の人たちが残っていく・集まってくることで、その地域「らしさ」というのを創れるんじゃないかと思う。浦河「らしさ」って何だろうってのは、10年くらい前から考え続けていて。先日ある人に「(浦河は)未開の地だからいいんだわ。これは他にはないと思うよ」と言われ、ああ、確かに開発されてない土地が多い、それくらい自然豊かなんだな、と実感しました。

 僕たちはこのエリアの雰囲気や暮らしが素晴らしいと思っているので、これをどう残していくかを商工会議所青年部とかで仲間達と集まって考えています。この環境を今よりちょっとでも善くしておくことで、次の世代から「僕たち、引き継ぎたいです」と言ってもらえるのが理想。だから「渡す」と言わず「繋ぐ」と言います。僕らはバトンを持ってるから、受け取りたい人が現れてほしい。

 浦河は、人が魅力なんですよ。港町だったりJRAがあることで人の出入りが多いから、いろんな人を受け入れるDNAが備わっているんだと思う。障がい者のかたも普通に町で働いてるし、それって多様性というよりも、違いを包含して一緒に暮らしましょうというインクルージョンな状態が浦河にできあがってる証拠。無意識にね。だから来た人たちにフレンドリー。それ、けっこうな「らしさ」だと思うんですよね。

 現状維持は衰退なので変わっていかなきゃとは思うけど、変えちゃいけないものを変えると「らしさ」がなくなり、ここに来る意味・住む意味がなくなってしまう。アップロードしつつ、家に関する困りごと解決をしつつ、コミュニティを創っていくのが、僕たちが一番寄与できる方法で存在意義だと思っています。

問題解決帳
町の建築業の将来を担う若手仲間と結成した団体で、ワークショップ開催や住まいの困りごと解決に役立つ冊子を作成

アトツギへのMessage

制限があるからこそ、面白い。
不確定な時代だからこそ、アトツギは面白い!

 昔のファミコンって、わずか8ビットや16ビットのCPUであんなに面白いゲームを創ってたじゃないですか。そんなふうに何事も、制限があったほうが面白くなっていく、面白いものが創れる、と思うんです。承継も、これまでのレールの上に従業員やお客さんや業者がすでに乗ってるという意味で制限が掛かっていて、彼らを乗っけたまま次にどうしていけばみんな幸せになるかなあと考えながらやっていくのは、すっごい面白いことだと僕は思う。現在の、この不安定で不確定な時代においては、むしろ冒険的にいろんなことに挑戦できるし、中小企業のほうが大企業よりずっと面白いことができる。いわゆる“ユニコーン企業”ではなく、地域社会に貢献できる“ゼブラ企業”を実現していけるのは、アトツギしかないですよ!

神馬 充匡
神馬充匡
1977年、浦河町生まれ。苫小牧工業高等専門学校・土木課を卒業後、平成10年(1998年)に岩倉建設に入社。苫小牧本店・土木課に12年所属しながら、うち10年を関東で勤務、土木現場の監督などを務める。平成22年(2010年)、有限会社 神馬建設に入社。先代の逝去を受けて平成30年(2018年)に3代目代表取締役に就任。セミナーやコンサルタントを活用して意欲的に経理・財務を学び、社のMVVを掲げ、キャリアアップ制度を充実させたほか、インターンシップも積極的に受け入れている。また、浦河町および周辺エリアの地域活性化にも積極的に尽力する。
会社概要
建設業
有限会社神馬建設
浦河郡浦河町向が丘西1-539-45http://jinba-kensetsu.com/
浦河町にて祖父・神馬秀雄 氏が昭和47年(1972年)に創業し、2代目・武彦 氏が昭和62年(1987年)に会社として設立。同町を中心に、近隣の新ひだか町・様似町など日高エリアにて、住宅および公共建築物などの新築・リフォーム・メンテナンスを手がけ、地域密着型の地元工務店として支持され続けている。3代目・充匡 氏が代表取締役に就任した後は、建設業では珍しい従業員の通年雇用化のほか、組織化の推進・財務体制の整備・キャリアパスを明確にしたキャリアアップ制度の整備などを行い、現在は年間売上高3億円を達成。社員4名・大工10名が所属する。