- (株)壺屋総本店 常務取締役 村本 賢亮 氏
唯一無二のチョコレートブランド×家業の誇り
「自家製あんこ」で、お菓子を通して北海道を世界へ。

「いつか一緒に働きたいな」
祖父の言葉で「家業」との縁が鮮明に
「家業」がある家に生まれた方はお分かりになると思います。やはり「家業」のことはいつもどこかで気にしてるんですよ。私も新卒で東京のIT系の会社に就職したものの、頭の片隅には常にそれがありました。
家業に戻ることを意識しはじめたきっかけは、祖父(村本 正 氏)の葬儀でした。葬儀の中で、幼い頃に祖父から言われた「いつか一緒に仕事したいな」という言葉が鮮烈に思い出されました。「家業」がパアッと私の中で鮮明になり、「家業に入りたい」と自然に思えたんです。
しかし、当然ながら、お菓子の世界は入ってすぐ活躍できるわけではなく、当時26歳の私は、お菓子の専門学校を卒業した同い年と比較したら、8年のキャリアの差がありました。その差を埋めるためには、短期間で成長できる場所に身を置かなくてはいけないと考え、お菓子のルーツである本場ヨーロッパにて働ける環境を探し始めました。
父(村本 定範 氏:当時社長)から修業先の提案があり、縁のあったチョコレートの聖地ベルギーにて3年間、お菓子修業することが叶いました。
失敗したら居場所なし、の覚悟で
チョコレートブランド創設。
帰国後、デザイナーズチョコレート・ブランド「RAMS(ラムズ) CHOCOLATE」を立ち上げたのが、平成29年(2017年)。素材に、江丹別の青いチーズ、男山酒造の復古酒、岩内の海洋深層水塩など、北海道の素材を取り入れた唯一無二の商品展開をしています。
立ち上げで苦労したのは、社内のどの部署も通常業務が忙しい中で、新しい事業をサポートしてもらえる体制を事前につくれなかったこと。本来は、私が会社の組織や仕事の流れを全て理解したうえで、事前に協力体制を整えるべきだった。しかし、組織や仕事の流れを全て理解していないまま、周りを頼ろうとせずに、自力で突破してしまいました。今振り返ると、とても強引なやり方であったと思いますし、そのせいで、沢山の失敗や壁に当たったのですが、、(笑)
ただ、おかげで沢山のことを体感で学ぶことができましたし、何か新しいことを始めるときは、固定概念や既存ルールを無視してもやってやるぐらいの覚悟と姿勢が無いとダメだ、とも感じました。また、単独で立ち上げたことでスピードを活かせたことも功を奏しました。結果としては、あれはあれでよかったという感想です。周りの意見を聞いていたらどうしても、既にある既定路線に似てしまうことが多いと思います。当時の自分には、周りの意見を無視して突破してでも、やり切る覚悟と姿勢が必要だったのだとポジティブに捉えています(笑)。

誇りある「自家製あんこ」で
アメリカに打って出る!あんこ業界のカリフォルニアロールを目指して。
弊社では沢山の種類のお菓子を販売しているのですが、創業から未だに、社員のみなさんに壺屋のお菓子の中で何が一番おいしい?と訊くと、圧倒的に「あんこ」と答える人が多いのです。創業以来ずっと支持されており、その魅力をさらに深掘りをして、その価値を広めたいと考えています。しかし、日本市場において和菓子屋あんこ市場は低迷しており、新しい市場を開拓するために、現在アメリカへあんこ商品を輸出できないかをリサーチしております。
欧米の方々に「おはぎ」のようにあんこをそのままを食べてもらうと舌ざわりが気になることが多いです。ところが、クロワッサンに入れたり、生クリームを混ぜたり、油分があるものと組み合わせることで、 “おいしい!”と受け入れてくれることが判りました。その辺にチャンスを確信しております。今では欧米でも定番となったお寿司の世界に、カリフォルニアロールが存在するのと同様に“アメリカ人に好まれるあんこ商品”を創り、広めていきたいです。
私には、お菓子を通して「北海道を世界へ」という大きなミッションがあります。チョコレートブランドの「RAMS CHOCOLATE」も、現在取り組んでいる「あんこプロジェクト」も、そのミッションの軸で臨んでいるんです。
北海道では商品が安いのが当たり前、高いものが否定される風土が強いと感じています。ただ、北海道というブランドを安売りするのではなく、良いものにはしっかり価値(値段)をつけて世の中に展開していくべきだと考えます。東京やヨーロッパに住んで実感したのは、価値あるものに高値がつくのは当たり前。安く売ってしまうと、買わなくなる人もいるんです。そして、海外市場において「JAPAN」や「HOKKAIDO」という名前は、上質なブランドとして今まさに浸透し続けています。この価値への理解を深めたうえで、「北海道」という価値を世界へお菓子を広げていきたいです。
メディア登場で、広がる認知度。
新規事業(ブランド)のステップアップを効果的に見せる。
RAMS CHOCOLATEをスタートした時に、社内外において自分の活動を知ってもらわなくてはいけない、そして認めてもらうために、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどのメディアに取り上げてもらうよう意識しました。SNSでの発信や、プレスリリースを作成し提出するなど行いました。また、インタビューの際の発言にも、より期待感を持ってもらえるよう、注目してもらえるよう、気を配りました。すると、私の活動やブランド・商品に興味を持ってくれる方、応援してくれる方が増えていきました。
最初は地元の小さな記事からのスタートでしたが、幸い、全道版に掲載して頂き、イベント出店を通して東京・大阪のメディアにも登場するなど、取組みが徐々にステップアップしていく過程を効果的に見せていくことができました。周りから“頑張っているなぁ”、“この人は次何するんだろう”と期待を持ってもらえるよう、現在でもメディアや社内報やSNSを通して浸透させていけるよう努力しております。
アトツギは、将来事業を推進していくうえで、まず社内外で興味を持ってもらい、実力を認めてもらう必要があると感じています。「あの人はどんなことができるのか?」そんな意味でも、メディアに効果的に取り上げて頂くことはすごく大事なことだと感じています。

アトツギ甲子園ファイナリストになり、
スノーピーク山井社長と出会う。
「第4回 アトツギ甲子園」の出場は、経営者という視点に良い影響を頂ける貴重な機会となりました。今まで私はプレイヤーとしての動きが多かった中で、アトツギ甲子園を通じて、全国のアトツギやメンターと出会い、意見交換をしていく過程で、経営者としてもっと勝負していきたいと思うようになりました。「北海道の魅力を世界へ発信!!老舗郷土菓子メーカーを熱狂で巻き込む新たなお菓子の物語」と題して、あんことチョコレートでのアメリカ進出計画をプレゼンしました。プレゼンに至るまでに、前職の上司や地元企業家の友人達、社長、専務と多くの方々に壁打ちを行い、プレゼン内容をブラッシュアップしていきました。ファイナリストに選出され、東京決勝に進みましたが、口にしたからにはこの活動をやらざるを得ないという、良いプレッシャーにもなりました(笑)。
もう1つ予想していなかった嬉しかったことがありました。審査員長を務めた株式会社 スノーピークの山井 太 社長と出会えたことです。「人生に、野遊びを。」をコンセプトに新潟県三条市から世界に向けてキャンプツールを発信しているブランドです。商品には “燕三条”で名高い地元の金物文化が活かされています。地域の資源を活用して商品展開していくブランドとしては、私のチョコレートブランドやあんこの活動でも共通する部分が多いと感じており、ブランドの先駆者として憧れています。そんな、経営者の方にプレゼンを審査していただき、懇親会では直接お話する機会をいただけたことは、私の経営者という視点に大きな影響を与えることになりました。懇親会で、他の出場者達が遠慮をして話しかけに行かないなかで、私は「チャンスだ!」と思い、酔った勢いもありまして沢山質問をぶつけにいきました。最終的に「今度新潟へ泊りにいかせてください。」と約束をし、その後、お会いする機会を再度頂きました(笑)(絶対にマネしないでくださいね。)
再会の時、「ギュッと」心を摑まれるような言葉を沢山いただきました。心の中で「本当に新潟に会いに行くなんて、失礼なやつだ」と反省しつつも、「いや、これは運命だ!」とポジティブに思い込んでいる自分もおります(笑)。忙しいのにも関わらず、貴重なお時間を割いて頂いた、山井社長には本当に感謝しかありません。。。
今では、ジャンルは違えど私なりに「スノーピーク」に「山井社長」に追いつくには、どうすれば良いのだろうと考えるようになりました。
私の中で、「経営者」としての視点が意識され、今までとは違うギアが大きな音を立てて1つ入った気がしました。

地元・旭川に魅力を与えるモデルケースでありたい
私が感じている旭川の魅力は2つあります。1つ目の魅力は「規模感のちょうど良さ」です。人脈において、札幌や東京など都市部では“誰々に会いたい”と思ってもなかなか遠くて出会えないと思います。旭川の規模感であれば1人挟めば必ず繋がることができます。なかなか出会う機会の無い他業種とも繋がることができ、予想をしていなかった仕事やコラボ案件が実現することもあります。
2つ目の魅力は「自然が身近にあること」です。私は、新事業や何か新しいアイディアが必要な時、気持ちをリフレッシュしたい時に、キャンプや登山などで自然に触れることを大切にしています。なので、この自然との距離の近さは最高なんです。全国を探してもこの2つの魅力が揃っている場所は少ないのではと思います。
そんな地元で、「旭川のお菓子といえば壺屋」と言ってもらえることもあり、地元の人達にとって大切な存在に思ってもらえるのはありがたいことです。これからも旭川を拠点にしつつ、地元はもちろん。札幌や東京、世界で輝ける商品をこの地から生み出していきたいです。
“旭川は何もない”と外へ出て行ってしまう若者も多いですが、 “旭川にこんな人がいて、こんな企業があるじゃないか”という評判が、外から逆輸入みたいに入り、広がっていくことも良いと思っています。私自身の活動を通して、そんな存在になれたらなと思っています。弊社には伸びしろが沢山あり、未来への可能性を秘めた企業だと信じています。旭川が拠点でも世界に出て行ける。そんな夢を実現するモデルケースでありたいと考えています。
新しいことにワクワクしよう。
夢を見させる力が、会社の成長力。
最近「家業」について感じていることは、「家業は楽しんだもの勝ちなんじゃないか。」ということです。勿論、そんな気楽なものじゃない。なんて理解していますが、私自身、辛い時も、苦しい時も忘れないように意識しています。
おそらくどの企業の創業者も、子孫に守ってもらうために事業を始めたわけではなく、創業者自身が「やりたくて、やりたくてしょうがない!」とその気持ちを止められなかったぐらい、ワクワクしていたから始めたんだと思います。弊社の創業は曾祖父(村本 定二 氏)ですが、お菓子をやって、蕎麦屋をやって、ファミリーレストランのような業態や、旭川初の回転寿司店など様々な事業にチャレンジしていきました。その事業をやりたくて、夜も寝れないぐらいだったんじゃないかと想像がつきます。その抑えきれない熱量が当時の事業の成長につながったんだと思います。
家業と聞くどうしても「守らなきゃ」と身構える思考になりがちなんじゃないかと思いますし、「楽しめるものじゃない!」という局面も多々あると思います。しかし、創業者の原点に立ち戻り、「自分はこれをやりたいからやるんだ!」の気持ちを持つことも重要なんじゃないかと思います。なぜなら、間違いなくその熱量は周りにも伝播していくと思います。
先日、祖父の代から働く女性が「常務(私)にどこまで夢を見させてもらえるのかな」と嬉しそうに言ってくれて。いやもう、アメリカまで行きますよ(笑)。と話しました。
そんなふうに従業員に夢を見せてあげられる経営者に私はなりたいと思っています。きっと、創業者の曾祖父はそのような人物だったろうし、その想いが伝播したからこそ会社が成長したと思います。
実はそう言う私も、家業に戻った当初は、周りによく思われようとか、よく見せようとか、家業に貢献的なことばかりを考えて苦しくなることがありました。そういう思考を一旦リセットし、気負いやカッコつけることを捨てきった時に力は発揮できてくるんだと実感しました。「心の底からやりたいことを楽しんでいる姿」。それを見たときこそ、周りの人達の気持ちを動かせる。それを私は今実感しています。(ちなみに、前述で触れた山井社長も同様なことをお話されていました。)
アトツギへのMessage
人生を見つめれば、使命は見つかる。
あとは、“やりたいか?”を自分に問うこと。
まず自分のことをもっと応援しろよと思っていますが(笑)、そんな私から1つエールを贈らせていただくと、、、ぜひミッションを見つけることをお薦めします。お金を稼ぐことや会社を大きくすることではありません。どのように見つけるかは今までの人生の過程にあり、シンプルに「自分ができることは何だ。やりたいことは何だ。」ということだと思います。あとは思い込み力です(笑)。
私は海外に住む機会があり、海外には北海道を知らない人達がこんなにもいるのか!という自分にとっては強烈な体験をしました。だからこそ、北海道の魅力を世界へ伝えたいと思うようになりました。そんな経験を持つ人は旭川には少なく、ましてその中でお菓子屋さんは私しかいないだろう。であれば、お菓子を通して発信できるのは私だけだ。私がやるしかない!と、こんなふうに、自分が持っているもの・出来ることを深掘りして考えていきました。方法は様々かもしれませんが、それぞれの人生の過程の中で「使命(ミッション)」を見つけることができるんだと思います!
あとは、やりたいか、やりたくないか。やりたくないことでは、熱を帯びず、行動を起こせず、伝播することもないでしょう。常に自分に「それ、本当にやりたいか?」を問うことは重要だと思います。自分だけのミッションを信じて、楽しみながら、世の中へぶつかっていきましょう!世界を変えるぞ!

- 村本賢亮
- 1987年、旭川市生まれ。「物の売れる仕組みを知りたい」と考え大学は商学部へ進み、卒業後は市場リサーチに関わる東京のIT系企業に勤務。26歳で「壺屋総本店」への入社を決意して戻り、3年間のベルギー修業に臨む。現地で公私ともにパートナーとなるフランス人デザイナー、マリノ・デボラと出会い、ショコラティエとして帰郷したのちは、妻と共に北海道の食材を活かしたチョコレートブランド「RAMS CHOCOLATE」を立ち上げたほか、つねに新たな発想で家業をバックアップ。「第4回アトツギ甲子園」では決勝に進出し、「オーディエンス賞」を受賞。
会社概要
- 菓子製造業
株式会社壺屋総本店 き花の杜 - 北海道旭川市南6条通19丁目https://tsuboya.net
- 昭和4年(1929年)、村本定二氏が旭川市にて「甘味求真」を理念に創業し、昭和24年(1949年)に株式会社 壺屋商店を設立(のち株式会社 壺屋総本店に改称)。「壺もなか」ほか数々の銘菓を生み出し、昭和57年(1982年)誕生の「き花」は昭和63年(1988年)の初受賞以来、モンドセレクション金賞を25年連続で受賞。創業100周年が目前の現在も、新店舗「壺屋ときの杜 買物公園店」の出店や、チョコレートブランド「RAMS CHOCOLATE」、新感覚ドリンク「potea」などの発表を通し、止まることない進化を続ける。