- (有)山﨑ワイナリー[三笠市]葡萄栽培責任者 山﨑 太地 氏
ワイン造りから地域の魅力を共有し、地域をオーガナイズ。空知の次代を想うコミュニティを残したい。
ここは北海道三笠市達布
この土地で100年200年とワインを造り続けていける環境づくり。それを今やっています。そしてそれは、この土地で100年200年と地域が続いていくことに繋がらないでしょうか。
かつて炭鉱都市として栄え、最盛期には6万人を超える人口を有した三笠市。石油へのエネルギー変換による石炭産業の衰退で地域の基幹産業を失って以来、人口の減少が続き、2022年1月には8千人を切り、様々な地域課題に直面しています。ですが、豊かな森と湖に恵まれ、道央主要都市に近い良好な環境を持ち、北海道の石炭と鉄道の発祥の地として栄えた歴史と、「エゾミカサリュウ」「アンモナイト」をはじめとした多くの化石を産出する地質学的にも重要な地域であることを活かし、日本ジオパークの認定を目指し、2013年に認定を得ました。これを機会に歴史や自然を活かした街づくりを進め、その成果が身を結びつつあります。
この三笠市の最西端に位置する達布山に山﨑ワイナリーはあります。石狩平野を見渡せるこの山は、明治の開拓期には榎本武揚、山県有朋、山田顕義など多くの要人たちが視察に訪れ、頂上から鉄道などの開拓計画を立てたといわれています。時は流れて令和の現在、地域の未来に想いを馳せる人たちは変わらずいて、それらの人々を、ワインを使ってオーガナイズすることができたら、この地から再び地域の次なる萌芽が始まるかもしれないと期待しています。
いつの日か、ワイングラスに地域の未来を注いで乾杯したい。
農村風景に想う、なすべきこと。
僕は次男なので「継ぐ」という考えに必然を感じてはいなく、だからこそ学生時代は何にでもなれる可能性を信じていました。教育実習や就職活動も経験し、いろいろな価値観に触れるにつれ自分を最も活かせる場所に置こうと考えていくと、それは家業でした。
その結論に辿り着いたのは、農村風景の中に当たり前のようにあった防風林の意味と価値に気がついたときです。強い風から作物や土地を守るために植えた防風林ですが、植えた人はその恩恵を受けることができません。木々が大きくなって風を防ぐまでには長い時間がかかるから。それでも植えたのです。次の世代がもっと良い農業ができるように、もっと良い暮らしができるようにと願いを込めて。僕もこの農村でその願いの恩恵を受けて育ったからには、今後は僕が誰かのための防風林を植えたい。いつの時代も次代を想って続いていく。僕が家業を継ぐことは、結局、必然だったのかも知れません。
そして、その日から今日まで、この目的を忘れたことはありません。今では多くの人たちと、僕たちなりの防風林を植えようと取り組んでいます。土地を守るのは木だけではないことを僕たちはもう知っています。
「アトツギ甲子園」に参戦し、
「みんなで造る。みんなのワイン。」構想を発表。
だから、僕にとってワインを造ることは目的ではありません。ワインを造って地域を造ることが目的です。第4回「アトツギ甲子園」北海道・東北ブロック(2024年2月)で発表した「みんなで造る。みんなのワイン。」構想もその目的のために考えていたものの一つでした。
ワインは加水を必要としない唯一のお酒です。ワインの液体はブドウからできており、そのブドウは栽培地の雨や雪解け水で育ちます。だからワインにはその土地の1年間の時間と空間が詰められているのです。このワインを地域の他産業者と連携して造ることで、地域の様々な魅力や歴史、文化、そして地域の人々の想いをボトルに詰めることができるのではと考えています。
ブドウ栽培からワイン醸造、販売に至るまでのプロセスを地域の他産業と連携して取り組むことで、この地域でしか造れないワインを地域のみんなと造っていきたい。ワイナリー経営は農業・製造業・販売業と多面的な業務が求められます。このワイナリー経営に取り組む僕だからこそ地域の産業の垣根を超えたオーガナイズができるのではと考えています。
地域のコミュニティ創生とオーガナイズで、
三笠市を好意形成の先駆けに。
地域の未来にとって何が大切か、何が魅力かをみんなで考え、地域の価値観の共有ができたらなと考えています。それはワインの評価基準の一つに、その土地の風土は表現されているかがあるように、地域もよりその地域だからこその風土が価値を持つべきだと考えているからです。
「みんなのワイン」では、例えば干しブドウを使用したワイン製造のために、ブドウを干す場所として地域の寺院をお借りしたいと思っています。またワインの保管には地域のダムの作業道での長期熟成。さらに完成したワインの裏ラベルには関連企業や団体名が連なる世界で一番長い裏ラベルを目指したいです。これらのプロジェクトのひとつひとつが、この地域でしかできないワイン造りで、そしてこれらひとつひとつが地域の新たな観光資源となることを期待しています。
「みんなのワイン」を通して、今までにないコミュニティの形成や、相互理解、相互付与、そして価値共有と行動変容を想起することができればと思っています。そしてワイナリーが単なる生産空間としてではなく、人々が集い、未来を語る空間となってくれたらと願っています。
ワイン造りを通して、地域を変えたい。
空知ならではの価値観を持てる地域社会に。
僕が敬愛する河川技術者の岡崎文吉が従来の川の形や流れを活かした河川開発を提唱したように、地域にも脈々と流れる川みたいなものがあるのではと感じています。この地域に流れる川のようなものの水源は各産業や行政、そして市民から一滴一滴滲み出てくるものではないでしょうか。この滴をできるだけ集めて、地域の未来に向けて流していきたいと思っています。そのためのワイン造りであり、そのためのオーガナイズなのです。
ビジネス的な投資や売上ではなく、地域の魅力や郷土愛を語る僕は経営者としては失格なのかもしれません。それでもこの小さな地域の中でさえ、新しい出会いや、思いがけない魅力に触れるたびに、僕は期待を膨らませずにはいられないのです。バラバラだったみんなが同じ方向を向いて進んでいきそうな雰囲気は、水無川に、久方ぶりに水音が聞こえてきそうな期待が感じられるのです。
「みんなのワイン」はそれぞれの生産プロセスごとに準備や合意形成を進めてきましたが、事業全体の開始は三笠市のDMO(観光地域づくり法人)の完成を待ちたいと思っています。すでに三笠市には炭鉄港やジオパークなどの地域連携の素地があり、これらの事業と連携して進める必要がありますし、これらすべてを入れる建屋が必要です。その機能をDMOに期待しています。地域づくりは決して一人では出来ないのですから。
そして何よりも自分たちが暮らし経済活動をおこなうこの場所を他の誰よりも、自分たちが楽しむことが大事だと思っています。この地域にしかない、この地域でしか見られない、食べられない、飲めないものに価値がある地域社会になればと願っています。だって、そういうものを求めて人は旅行にいくのでしょう?
ワインを造って何をするのか。
前述の通り、僕にとってワイン造りは手段であって目的ではありません。ワインを造って、そのワインを使って地域に何をもたらすのか、どこに寄与するのかを考えることが重要だと思っています。ワインが持つ地域性や独自の価値観を地域と共有し、この地域にしかないものを大切に、そして磨いていく機運をつくり、ワインを代表とするような地域性と独自性の高いものを活用できる地域社会になって欲しいと思っています。
そのために僕が重要だと考えていることは合意形成を得るまでの過程です。時間をかけて話し合い、目的を共有し、各々が当事者意識を持つまで対話を続けることが大切なのだと経験してきました。三笠市を含めた24市町村からなる空知には10社のワイナリーと20社に迫るヴィンヤード(ワイン用葡萄栽培農家)がありますが、これらの団体法人を設立させるための「そらちワイン協会設立準備会」を立ち上げることに2024年2月に成功しました。構想から5年がかかりましたが、合意形成に時間をかけた分、皆の意識は非常に高く、これで僕たちのワインが地域に根ざしていけると確信しています。
また僕が副代表を務めている「そらちシーニックバイウェイ」では、広域連携にも取り組んでいます。シーニックバイウェイ(Scenic Byway)とは、景観・シーン(Scene)の形容詞シーニック(Scenic)と、わき道・より道を意味するバイウェイ(Byway)を組み合わせた言葉です。地域に暮らす人が主体となり、企業や行政と手をつなぎ、美しい景観づくり、活力ある地域づくり、魅力ある観光空間づくりをおこなう取り組みです。これから地域の同業者と連帯し取り組むことで、地域の他産業者と連携して取り組むことで、地域の未来へ向けた「防風林」を植え続けていきたいと思っています。
行動を起こせないアトツギも多い。
ならば、“危機”に追い込むべし。
行動力を称賛していただくこともありますが、行動しない限り何も始まらないということを僕は知っています。そして僕たちには家業という素地があり、ここに新しい色を塗れる特権が与えられています。でも、何色を塗ったら良いのかわからないし、この色で良いのか不安になったりします。だから、その答えを探すために行動するのです。
僕の色彩感覚では、時代や社会から、そして地域から自分に必要な色が自然と見つかると思っていますが、みなさんはどうでしょうか。行動を起こせないアトツギが多いともお聞きしますが、僕が考える行動力の源は「危機感」と「向上心」です。これらを携えて玄関を一歩でるだけで、世界は驚きと発見、そして機会に満ち溢れていると思いますよ。
それでも難しいと感じるなら、思い切って自分を異なる環境に置いてみましょう。僕は大学院という選択をしましたが、経済団体への参加や新しいコミュニティでも良いので、思い切って挑戦して欲しいです。「危機感」と「向上心」を忘れずに。
そして行動するときに大事にしている言葉があって、それは「誰が為」という言葉で、自分のためだけではなく、他の誰かの役に立てるのならもっと頑張れる気がしませんか?
アトツギへのMessage
アトツギは地域の次代を担う者。
自らを確認するために「アトツギ甲子園」の活用を。
創業者ではない僕たちアトツギは、新規事業を考えることはあっても発表する機会はあまり多くはないと思います。それも限られた時間の中で伝えるという機会は本当に素晴らしい経験です。行動をするのが難しいと感じている方には特に挑戦して欲しいです。是非、自分を新しい環境に置いてみてください。必ず新しい仲間と、新しい自分に会えますよ。アトツギ甲子園の経験も含めて何でもお話ししますし、皆さんのお話も是非聞かせてください。ブドウ畑でお会いしましょう!
- 山﨑太地
- 1985年、三笠市生まれ。北海道教育大学岩見沢校を卒業後、有限会社山﨑ワイナリーに入社。以後、葡萄栽培責任者としてワイン製造に従事しながら、そらちシーニックバイウェイ(副代表)など広域連携に関わる地域事業に参加。治水技術者・岡崎文吉が唱えた、自然のあるべき姿を活かす治水方式の考え方に感銘を受け、2023年から室蘭工業大学博士後期課程・先端環境創生工学コースに進学。地域の他産業者との交流も深く、ワイン造りを通して地域づくりを考察。教育機関や地域づくりの講演などを多数取り組む。2024年2月には「第4回アトツギ甲子園」北海道・東北ブロック大会にて「みんなで造る。みんなのワイン造り。」構想を発表。
会社概要
- ワイン製造・販売業
有限会社山﨑ワイナリー - 北海道三笠市達布791-22http://www.yamazaki-winery.co.jp/index.html
- 三笠市に代々続く農家の3代目・山﨑和幸氏が、生産・製造・販売を一貫して手がける“自立した農業”を目指し、1998年にブドウ栽培に挑戦。苦節を経て赤ワイン用ブドウのピノノワールの栽培に成功し、2002年に“北海道で最初の果実酒製造免許を取得した個人農家”としてワイナリーを創設。北海道における小規模ワイナリーの先駆者となり、現在は既存の稲作・畑作から転換し、様々なブドウ品種を使い年間4万本前後のワインを製造。そのワインは三笠のみならず北海道を代表とする銘酒として国内外で高い評価を得ている。創業時の家族5人で始めた想いを込めて、それぞれの指紋を5枚の花びらに見立てたラベルをトレードマークとしている。映画「ぶどうのなみだ(2014)の舞台・ロケ地」としても知られる。