- (株)どんぐり[札幌市] 代表取締役社長 野尻 雅之 氏
固定観念にとらわれない自由な考え方で、
おいしいパンとワクワクを提供し続ける。
〝島流し〟から帰国後、気楽な日々。
そして経営者意識の目覚めへ。
いやあ、ほんとに僕、勉強ができなくてですね。受けた大学すべてに落ちて、父から「東京にでも行って働け」と言われ、冗談のつもりで「東京に行っても変わらないでしょ」と返したら、「じゃあ、日本から出て行け」。いきなり何のツテもないカナダへ語学留学、島流しです。でもそのおかげで、日本人と違うものの見方やコミュニケーション、日本の常識とは違う価値観があるってことを実体験で学ぶことができました。
結局4年いて帰国し、居酒屋でバイトしていたら、父から「実家で働かないか」と声が。「いいよ。パン作ってればいいんでしょ」と実に軽い気持ちでの入社でした。優秀な先輩たちがいたので、継ぐなんて気は完全にゼロ。ところが、当時、経営コンサルティングに入っていた方から、「野尻くん、次の新店は僕に店長やらせてと言わなきゃいけない立ち場だよ。言うんだよね?」と、背中を突然ドンと押されまして。え、そういうもん?みたいな感じでしたが、言ってみたら、本当に店を任されて。
その翌年には本部に異動して全店舗の運営に関わり、その頃からですね、経営者側としての意識が芽生えてきたのは。
完全に経営から退いた父。
そのすごさを実感しつつ、反発も。
社長就任は31歳。入院などを機に父が「次」を考え始めたものの、先輩たちの勢力が拮抗していて、息子の僕が就任するのが一番うまく収まるかなということに。
最初の3年は父も会議に出て、僕もよく「会長、どうします?」と聞いていたんですが、あるとき「俺、もう辞めるわ」と、ぽん、と引退。今でも実家を訪ねて相談することはありますが、ああしたら?とか言いつつ、最終的には「俺の時代じゃないから、お前が決めれ」。これって、すごい能力だと思うんです。自分で創り上げたものを人に渡して、言いたいことは言うけど言い過ぎないようにいる、っていうのは。
とはいえ、僕も最初から素直に父の話を聞けたわけではなく、だいぶ親子ゲンカしました。意見に反対しているのではなく、父が言ったことに負けたくないから言っている自分がいる。なので僕は、いったんトイレに行く。で、鏡を見る。“部長が父と同じこと言ったら、僕は今みたいに反論するか?いや”と自問自答。自分の感情をコントロールするってすごく難しいし、毎回できたわけではないですが、そうやってました。
失敗も苦労もいろいろ。
社長就任の年には過去最低の利益。
苦労や失敗もありましたよ。まず、父の判断基準を学ぶのが難しかった。何を以て良しなのか。怒られてばかりでしたが、理由を父に聞くようにして「なぜ」の事例を蓄積したら、だんだん基準が分かってきました。
あと、会長引退後の会議はつらかった。どうします?と聞けた相手がいなくなり、全員が僕を「どうすんの?」って目で見る。間違ったことは言えない。会議の1週間前から具合が悪くなるほど嫌でした。あと、今でも忘れられない失敗は、店長時代、お客さんからのクレームへの対応を誤り、父と2人で土下座しに行ったことです。帰り道、父が責める気にもならないくらい僕は落ちてました…。
社長になって最初の年は試練の連続。お店を作れば絶対お客様がくるだろうと思っていて…、今考えるとありえないですけど。新店のオープンに備えて100人もスタッフを雇用したら、そこまでにならず、人が余ってしまうので他の店舗にも分かれてもらったりしたところ、会社全体的にゆるんでしまって全店の売上が下がり、利益も過去最低になった。承継した年だからか、税務署が突然押しかけて来たり。いろんなことがバタバタ起きた1年でした…。
父母が創った“どんぐりらしさ”を守り、
より一層のワクワクを提供したい。
経営者側になって “どんぐりらしさ”を改めて学んでいたとき、思い出したのが居酒屋バイト時代の、昔トラック運転手だったというお客さんのこと。「美園のちっちゃなパン屋のおかあちゃんに、めっちゃ良くしてもらった」と話すので、それ親の店ですと言ったら、いきなり床に正座して僕に頭を下げたんですよ。「本当に世話になったんだ。ありがとうと伝えて欲しい」って。確かに母は、頑張ってるけどお金はなさそうな若者たちに、パンをおまけしては頑張ってねと声をかけていた。売上のために何かするのではなく、本当に喜んでもらいたくてする行為が、巡り巡って店の評価と売上になってるという、これがまさに創業期から今も変わらない“どんぐりらしさ” “強み”なんだろうと思います。
あったかいパンを提供したいから「閉店1時間前までパンを焼こう」っていう姿勢も、「家庭的、庶民的な店」「おいしく、楽しく、安全な店」「働く人、一人ひとりの個性が生きる店」という経営理念も、2人の時代から今も続くものです。
“おいしいパン”の基準は難しいんですが、単純に、うわぁおいしいな!また食べたいな!と思えるのが一番なんじゃないかな。うちのベーグルは丸くないし、世界基準で言えばベーグルって呼べないかもしれない。ちくわパンやザンギも、本来のパン屋さんからしたら「それってどうなの?」って思われるかもしれない。でも僕たちは、お客さんにワクワクして楽しんでもらえたらゴール。技術があるからお客さんが喜ぶ、はイコールではない。かっこよく言えば、うちは「お客さんに楽しんでいただくところまでを技術と呼んでる」って感じです(笑)。
売る・買う関係だけでなく、もっと何かを築くことが大事だと思っています。たとえばパン教室をやったり農業体験ツアーを企画したり、一昨年は、70周年なのにコロナ禍で人を呼べない円山動物園にコラボ企画を提案して、お客さんから募集した動物パンの商品化を企画しました。お客さんが応募用紙を家に持って帰ると、家族で話し合うので、円山動物園を想う時間を提供する役割になれると思ったんです。
「どんぐり」に行くと、パンが買えるだけでなく、いろんな経験ができて楽しいよねと言ってもらえるのが理想。地域との繋がりや地域への想いは、大切にしたいなって思います。
本を読むことで考える力を鍛え、
「予定を入れない日」で自分と向き合う。
最初は父ならどうするかと考えて動いてましたが、やがて自分なりの道を進み始め、その道を見つけるきっかけになったのは、いろいろ読んだ本です。自分の立場や状況に当てはめて、置き換えて、1ページ1ページ読むのですごく遅い。でも、読書によって考え方がどんどん成長していくのが自分でも分かり、それが周りの人たちにも伝わる手応えみたいなのを大きく感じるようになりました。
集中したいときは「1〜2ヶ月間、23時まで帰らないルール」とかを作って、仕事後に勉強の時間を作ります。あと、1週間に1日、もしくは1ヶ月に2日など、予定を入れないっていうスケジュールをスケジュールに入れるんです。その日は1日中カフェにいたりしながら、自分の考えを整える日にする。今の自分と向き合って、ひたすらメモして、ひたすら本読んで。これ、経営者の方にはぜひオススメですよ。
会社のために働くのではなく、
やりたいことを会社が応援するスタンスで。
思えば、僕は子供時代からずーっと逃げ続ける人生を送ってきた。でも、「どんぐりの社長だよ」となってからは、みんなのために頑張んなきゃってのがすごく強いんです。
僕はパンを作るとか、会社を大きくするとかの能力はないので、できるのは目の前にいる人と真剣に話し合うってことだけ。それをやり続けてきました。
うちのメンバーって僕よりはるかにすごい人ばっかりなので、その人たちのやりたいことを応援する会社になれたら、もっとみんなが力を発揮してもっと面白いチームになっていけると思う。ダメ出しはせず、基本OK。やってみてダメだったら元に戻せばいい、まずやってみようってのが僕の基本スタイル。
おむすびも、きっかけは、ある社員が「ワクワク楽しんでもらうのは、パンじゃなきゃだめですか」と聞いてきて。「おおっ??」と思いましたね。ダメな理由は見つからないねと答えたら、後日20ページぐらいの提案書を書いてきた。先日は、他の社員からコーヒーに関する構想もありました。
スタッフには、何かしたかったら「どんぐり」をうまく使ってやっちゃったらいい、と言っています。会社のために仕事をするのではなく、会社を使って楽しんだほうがいい。この考え方は、僕が海外に行ってた経験が大きいかもしれない。僕の特性と、経験と、会社の強みとが噛み合って、今みたいな形になれてきてるのかなあと思います。
アトツギへのMessage
応援される人・応援される会社であれば、
これからも面白く生き残っていける
1つ言えるのは、固定概念をはずしちゃったら面白くなるんじゃない?ってこと。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク)って有名な言葉がありますが、自分が何十年かで経験したことなんてしょせん狭く、その経験値でこうあらねばならぬと判断したり、人に教えようとしても限度がある。もっともっと大きな枠である歴史の中で考えてみたらってことです。たとえば、徳川幕府はなんで終わったのかを考えてみるとか。
そんなふうに見ると、目の前の利益よりもっと大切なものが見えてくるかもしれない。お金や、高級車や、豪邸や、そういう時代では、もうない。お金はあまりないけど、周りからすごく応援される人であったり、応援される会社さんであったりしていれば、絶対これからも面白く生き残っていけると思う。まあ、これもまた正解ではないので、いい感じの距離感でものを見られるといいのかなと思います。
- 野尻雅之
- 1978年、札幌市生まれ。スポーツ推薦で入学した北海高校を卒業後、カナダへ語学留学し、帰国後は居酒屋でのバイトを経て株式会社どんぐりに入社。2年目で新店オープンを機に店長に就任。以降、本部異動、本部部長就任、常務就任を経て、31歳で社長に就任。既成概念にとらわれず、各店ごとの商品開発を推奨し、残ったパンを冷凍販売するフードロス対策、「おむすびの店」オープン、コラボ企画やイベントなど、「ワクワクできること」を社員が進められる環境づくりを積極的に推進する。
会社概要
- パン、調理パン、菓子等の製造販売
株式会社どんぐり - 札幌市白石区南郷通8丁目南1-7https://www.donguri-bake.co.jp/
- 昭和58年(1983年)3月、母・野尻好子 氏が札幌円山に「珈琲舎どんぐり」を開店し、同年10月に父・就二 氏がパン職人として加わり豊平区美園に移転、地域密着型のパン屋「どんぐり」を開店した。平成元年(1989年)、株式会社どんぐり設立。3年後、白石区を拠点(本店)として「焼きたてパン どんぐり」を本格的にスタート。現在までにパン屋を10店舗運営し、ちくわパン、ザンギなどの人気商品を次々と打ち出し、路面型パン店として全国有数の売り上げに。令和2年11月には「てづくりおむすびの店どんぐり」もオープン。