特別編 トークセッション IN 道南

対談:新しい風を吹かせ、壁を壊していきたい

集合写真
(左から)
一鱗共同水産株式会社 営業部長 本間 雅広さん
株式会社いかめし阿部商店 代表取締役社長 今井 麻椰さん
合同会社箱バル不動産 代表 蒲生 寛之さん
<聞き手>アトツギU34オンラインサロンメンバー 梅木 悠太さん

アトツギの前にはどんな壁が立ちはだかっているのか、アトツギたちは壁をどう乗り越えてきたのか、乗り越えようとしているのか――アトツギたちの“挑戦”や“戦い”について熱く語ってもらいました。

【梅木】まず簡単に家業に戻られたきっかけをお聞きしたいのですが、皆さん、もともとは家業と違うお仕事をされていたんですよね。いずれ戻るご予定はあったんですか?

【蒲生】僕は漠然と「いつかは函館に帰りたい、帰るんだろう」とは思っていたけれど、家業を継ぐかどうかの話は、自分も親も一度もしたことがなかったですね。高校卒業後に10年ほどいくつかの仕事を経験して、30歳になる少し前、ふと「もし帰るなら今のタイミングしかないかもしれない、今ここで帰らなければもう一生帰らないかもしれない」と思い、初めて父と話しました。

【本間】僕は札幌の高校で2年ほど日本史を教えていました。家業を継ぐ気は全然なくて、入社初日まで会社の住所も知らなかったくらい。
 僕には小学生のころから、「父親に負けることは許されない」というルールが勝手にあったんです。教師という仕事は、父親と比べても「まあ、いいんじゃないか」と思っていたんですが、父親とゴルフをするようになって自分の給料じゃ到底行けないようなゴルフ場に連れていってもらった時、自分の中で「負けた」と思いました。「教師のままじゃ勝てない、いちばん手っ取り早いのは同じフィールドに立つことだ」と、家業に入ることを決意したわけです。

【今井】私は生まれたときからいかめしと一緒に育ってきたので、いかめしはきょうだいのような存在でした。漠然と「いつかは社員になるのかな」と思ってはいましたが、後継者として育てられたわけでもなく、まさか私が、しかも20代でトップに立つとは親も含めて誰も想像していませんでした。ただ、以前から父に「いかめしに関わるにしても、絶対ほかの仕事をしてから来るように」とは言われていましたね。

【梅木】そして、いかめし屋さんの社長とアナウンサーという”二足のわらじ”に。

【今井】大学卒業後のカナダ留学中に、「アメリカの催事で出店するから」と父に言われ、責任者としてお店を任される機会があったんです。現地では、最初は全然いかめしが受け入れてもらえなくて、なんとかPRを工夫したら受け入れてもらえるようになりました。それがきっかけとなり、「人に言葉で伝える仕事がしたい」と急きょアナウンサーを目指したんですよ。
 運良く採用されてから半年、フリーアナウンサーに転身したころ、あるバラエティ番組から「跡取りの特集をするから出演しないか」という話が来て、活動の場を広げるつもりでお受けしました。そうしたら、「この女性が三代目の社長です」と番組で大々的に取り上げられてしまって。当時の私はまったく考えていなかったのに、周囲に「社長さん、がんばってね!」と言われて、「違う」と言ったら会社の信用にも関わるかもしれないし…。悩みに悩んだ末、「社長になることも考える」と父に話して、今に至る道ができました。

【梅木】若い社長ということで、世代間のカルチャーショックって感じたりしませんか。

【今井】アナログとデジタルの違いは大きいですね。いかめし職人の女性は60代、70代の方が多くて、若くても40代です。私が戻った当時はほとんどの方がガラケーを使っていて、メールもLINEも分からない。だからこちらで会社用のスマートフォンを用意して配って、強制的にLINEを使ってもらっています。

イベント全景

【梅木】デジタル的なコミュニケーションって、導入してもらうことさえハードルが高くないですか。

【今井】もちろん反発はありましたが、デジタル化しないと時代についていけなくなるだろうと思って進めています。やはりすごく難しいんですけれどね。いまだに使えない方もいらっしゃるし、リモートなども難しい世代なので。会議中に私がスマートフォンで一生懸命メモをしていたら、LINEで遊んでいると思われたこともあります。

【蒲生】「こうしたら仕事がすごくやりやすいのでは?」って思っても、それを口に出すとあまり歓迎されない、ってありませんか。そもそも会話が成立しないというか、会話のゴールにいつまでもたどり着かずに話がそれていってしまうんです。

【梅木】分かります。僕も悩んでいます。蒲生さんは何か変えていったんですか?

【蒲生】僕は、「もう無理だ」「なんのために帰ってきたんだろう」とまで考えていたんですよ。そんな時に親に相談し、話の中で僕が以前から考えていた企画を提案してみたんです。そうしたら「じゃあ、ちょっとお前の案でやってみろ」と話が進みまして、その企画がお客さまに受け入れてもらえたんですよ。自分を信じて提案したことが受け入れてもらえたことで、そこからずっとモチベーションは高いままです。

【梅木】本間さんはどんなカルチャーショックを感じていますか。

【本間】今って漁獲量も少なくなっているし、水産業界の業績ってどんどん下がっているんです。それに会社の人も業界の人も、そういう現状に対してネガティブ。「この仕事はいいぞ」という人がまったくいません。ショックというか、つまらないと思っています。

【梅木】もともとはお父さまを見返してやろうと水産業に入られたということですが、水産業そのものに対するモチベーションは今どういう感じなんですか。

【本間】たぶん今でも水産業に対するモチベーションは全然ないです(笑) でも、毎日お魚のことしか考えていないです。水産業の大嫌いなところを変えてやろうということにやりがいを感じているんですよ。仲卸ではあまり例がないBtoCに近いこともやっています。
 儲けたいわけではなく、僕のやっていることで魚を食べる人が増えれば、特に、若い人が魚を食べてくれれば、それでいいと思っています。お金にならないことをやっているので、市場では「アイツはやばいヤツだ」って言われますけど(笑) 潰しにかかってくるような従業員をはね返すのも楽しかったですよ。

【一同】強い!

【梅木】まさにチャレンジですね。今井さんもコロナ流行の最中で後を継がれてのチャレンジ…というか戦いだと思うんですが。

【今井】もともと2020年の5月ごろに引き継ぐ準備をしていたので、緊急事態宣言下の社長就任でした。売上の8割9割を支える全国の物産展がまったくなくなって、収入も見事にゼロ。少しでも収入を得ようと初のオンラインショップを立ち上げ、会社のウェブサイトもリニューアルしました。きついスタートでしたが、いちばん低いところから始まったので、あとは上がっていくだけとポジティブに捉えています。

一つのビジョンに向かって、共感し合う異業種の仲間と違う領域を掛け合わせながら、価値を作っていく。

蒲生代表

【梅木】蒲生さんはリノベーションに、まちづくりにと、いろいろ挑戦されていますよね。どのような経緯で、別会社を作って事業をされているのですか?

【蒲生】別会社を立ち上げたのは、異業種同士が集まるチームを作るためです。自分の領域とは違う能力を持っている人に助けてもらう方がコミュニケーションを取りやすい、ということがあったんですよね。一つのビジョンに向かって、共感し合う異業種同士で違う領域をどんどん掛け合わせながら、価値を作っていくほうがいいやり方なのかもしれない。不動産業にも創造性が求められている気がしています。

【梅木】なるほど。出島戦略のような感覚でしょうか。自社では新規事業をしようとしても社内の反発などがあってなかなかできないから、別会社を作って事業をするアトツギはけっこういますね。ところで、蒲生さんはどうやって人を集めているんですか。

【蒲生】人に限らず不動産情報もそうなんですが、最初に力を入れたのは情報発信です。最初はこちらからメディアに取り上げてもらえないかと働き掛けますが、掲載してもらえると逆にこちらに情報が流れてくるようになるんですよ。見つけてもらいやすくなりますね。あとは、話をしたいと思う人がいたら取りあえず会いに行きませんか?

【本間】分かります。僕も、「どうしよう」って思いながらもいろいろな場所に顔を出すようになりました。そうしたら、そこでつながった人がさらにつなげてくれたりもしました。運が良いだけですけれど、いい人にめぐり会っていると思いますね。

発信をしっかりしないと、会社がやっていることは伝わらない。
仲卸のブランド化というゴールを目指して。

本間部長

【梅木】本間さんは広報にもいろいろ力を入れていらっしゃいますよね。YouTubeの『いちうろこチャンネル』、毎回見ていますよ。

【本間】ありがとうございます。基本的に効果は全然ないんですけどね。BtoCで消費者に売っているわけではないですから。でも、僕がいろいろ相談させてもらっているある経営者の方が、「発信はかけ算」とおっしゃっていて。「“やっていること×発信”なので、発信がゼロだとすべてゼロになってしまう。発信をしっかりしないと会社がやっていることもやろうとしていることも伝わらない。それはBtoBでもBtoCでも関係ない」。なるほど、と思いました。ぼくは単純なので、「だったら、まずはYouTubeチャンネル」と思って。

【梅木】広報に関して社内での反発はないですか。

【本間】反発しかないです(笑) でも結局、自分のゴールのためですから。野菜やお肉って、「生産者の顔が見える」という流通ができていますけれど、お魚でも仲卸の顔を見せてブランド化したいんです。「一鱗共同水産から仕入れました」ってラベルを見た消費者の人に、「一鱗だったら新鮮だね」って言ってもらえたら最高じゃないですか。スーパーも、新鮮な魚を求めて産地から直接仕入れる必要がなくなるんです。仲卸が圧倒的な知名度を持った場合、そういうことが可能になってくるんですよ。だから、自分たちのことを知られないよりは知られた方が絶対いい、と説明しています。

【梅木】卸を変えていくのは難しいですよね。僕も卸売業ですから、今のお話はすごく勉強になります。
 “二足のわらじ”の今井さんは、広報関係でいかめしとアナウンサーの掛け算効果はありますか。

【今井】かなりあると思っています。父と違う私の強みは、唯一そこにしかないと思っていますし、誰にもマネできないと思っています。自らが広告塔になって、私をきっかけにいかめしを知ってくださる世代が増えてほしいですね。

【梅木】ツイッターのフォロワー数が1万人強だそうですが、どのような発信をされているんですか。

【今井】私自身のツイッターはバスケのレポーター業に関する情報がメインなのですが、いかめしの催事で全国を回るときは、併せて情報発信しています。どの地域にも必ずバスケのチームはあるので、バスケファンの方が物産展に来てくださるんです。今までのいかめし阿部商店では開拓できなかったスポーツの界隈を私がどんどん開拓しているので、今後も続けていきたいです。

【梅木】すごい強みですね。武器があってうらやましいです。

80年の伝統を守りつつ、私らしい新しい風を吹かせたい。

今井社長

【梅木】では最後に、皆さんがアトツギとしてこの先どのように進んでいきたいかをお聞かせください。

【本間】アトツギの会社って、二代目・三代目・四代目と続いていくと、だいたい業績が下がっていく気がしています。だから、「自分が創業者」みたいな動きが大事かと思っています。創業者にどうやって勝つか。時代も違うし勝ち負けではないのですが、創業者を超えようという気持ちで先に向かっています。今の水産業界で僕らがやっていることをしている仲卸は絶対にいないので、チャンスがあると思っています。

【蒲生】祖父が蒲生商事を創業して、当初は別の事業が主で、そして父が不動産事業をメインにしました。じゃあ自分の代では何ができるのか。どんな街を作っていくのかを考えていくことだと思っていますが、この先、歳を取って振り返ったとき、ちゃんと変化し続けられたかを考えていたいと思いますね。変化し続ける人って、すごくかっこいいと思います。

【今井】いかめし阿部商店の80年の伝統は絶対に守りつつ、私らしい新しい風を吹かせながら会社を大きくしていきたいと思っています。駅弁も水産業界も本当に女性が少ない世界なので、そこに20代で飛び込んだ人間がいるということを世の中にもっと見せていきたいです。悩んでいるアトツギの女性に、この世界でも幸せになれることを示したいと思います。私自身も、この道でよかったのかと悩む瞬間はまだまだあると思いますが、社長を継いだことに後悔はしたくないですね。

【梅木】皆さんありがとうございました。

<登壇者>

蒲生 寛之 氏(合同会社箱バル不動産【函館市】 代表)
高校卒業後に一度函館を離れ、約10年間海外や都内での生活を経て、2013年にUターン。家業に従事する傍ら、旧市街地での古い建物の再生活動を行う箱バル不動産を立ち上げ、函館への移住サポートなどに取り組む。
今井 麻椰 氏(株式会社いかめし阿部商店【森町】 代表取締役社長)
大学卒業後海外へ留学し、帰国後の2015年からキャスターやリポーターとしてテレビやネット番組を中心に活動。2020年5月に3代目社長に就任後、新型コロナの影響で催事が激減する中、レトルト商品などネット販売に力を入れる。
本間 雅広 氏(一鱗共同水産株式会社【札幌市】 営業部長)
高校教諭を経て同社に入社し、家業である水産仲卸業に注力するほか、同社の認知度を高めるため、HPやリクルートパンフレット作成に着手。また、飲食店と連携した事業展開など水産仲卸の新たな可能性を生み出す。
※イベント動画はmetichannel(動画共有サイト YouTube)でご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=DF-fBSpr6SM