- (株)三五工務店[札幌市] 代表取締役 田中 裕基 氏
継ぐ理由なんて、志しかない!
大転換で、お客さまの〝幸せ創り〟を人生に。
家業に興味のなかった自分に起きたパラダイムシフト。
家業を継ぐほうが、カッコいい!
子供のころから「将来は自分で会社を作って社長になる!親には頼らない」と決めていて、家業を継ぐことに興味がありませんでした。東京の大学を卒業後は飲食業界相手のベンチャー系コンサルティング会社でバリバリ働き、最年少昇級を果たすなどして、ゆくゆくは独立を目指しながら東京の生活を満喫していました。でも、親父は「家業に戻れ」と言う。ある時「やってもいないのに何が解る。1年やって嫌だったら辞めていいから、挑戦してみろ」と言われ、その言葉がストンと腹落ちしたんです。「そうだよ、やってもないのに失礼だ、この家業に育てられたのに」と思い、27歳のとき北海道に戻りました。僕としては、「挑戦した結果、継がない」と親に説得するつもりでした。
「建築なんて少し勉強すればできるだろう」と思っていましたが、全然できなくて。最初は使い物になりませんでした。頭の中では完璧なのに、全く現場監督業務が上手くいかないというギャップに苦悩しました。2級建築士の資格にもチャレンジしましたが合格できず、このまま東京に帰っても、何の成果もない。せめて2級建築士を取るまでは!と戻るのを先に延ばし、合格後晴れて親父に「東京に戻る」と宣言しました。
ところが当時の彼女(現在の妻)に「東京に一緒に来て」と言ったら、「あなたみたいに自分のことしか考えてない人は成功しない。今周りにいる近くの人のことも思いやることができないのに、お客さんを幸せにできるはずがない」と言われ、その言葉に自分の中で大きなパラダイムシフトが起きました。それまで「自分がやりたいこと」で自由にたくましく生きるのがカッコいいと信じていましたが、逆に「自分にしかできない・やらなきゃならない」ことは何かと考え始めました。それは僕にとって、家業を継ぎ、一緒に働く人を幸せにして、周りを喜ばすことなのではないかと、価値観がガラリと変わったんです。また、継ぐのは実は起業より難しくて、家業を継いで挑戦した方がカッコいいんじゃないかと思いました(笑)「やらなきゃいけないこと」をやった上に「やりたいこと」を積み上げていこう、と次第に考えるようになりました。
ブランド化・新会社・新規事業。
心身ともにストレスを抱えながらやり遂げた日々。
僕は、建築業者が家を建てたい人にしかPRできていない現状がもったいないと常々思っていました。もっと企業としての魅力をブランド化して発信したり、僕らが皆さんを幸せにするために普段から手がけていることを知ってほしい。僕は建物だけでなく、家具やお庭・植物など暮らしに関わるトータルを提案し、理想のライフスタイルの実現をサポートできる企業でありたいと思っているんです。でも父は、「そんなことをしなくても、いい仕事をしていたら周りが見てくれる」と言う。そういう考え方もありますが、これからの時代では難しい。確かにうちの強みは、60年余で築き上げた「信頼」です。でも、信じてやっていることを発信しないと、それはやっていないことと一緒。発信することはとても重要だと思います。
また、副社長に就くタイミングでやはり新事業をやりたいと思い、新たに店舗デザイン・工事やカフェを運営する「35design」を設立しました。両親は最初、猛反対。父は過去に新会社を立ち上げ、失敗したことがあり、不安だったのでしょう。当初の2年間は両親とぶつかることも多くありましたし、社員や同業者の中には不安や不信感を抱いた人もいたかもしれません。あのころはホントにきつかったですが、それを乗り越えられたのは、家族の支えと「自分が成長する以外ない」と信じて頑張りぬいた結果だと思っています。
後継ぎの新規事業って、成功が求められるんですよ。成果を見せないと絶対に認めてもらえないから。僕の場合1、2年目は赤字でしたが、ここ4年間ぐらいで、グループ全体の売り上げを8億円ぐらい伸ばせました。今では両親との関係も良好です。
コロナ禍と、転じた好影響。
コロナ禍の影響は大きいですね。飲食部門は赤字。サーフィンでいうと、波がない中でボードに乗っているようなもの。なので、ここは一旦あきらめる!と決めました。まず1回海から上がろう、と。
一方、建設業の状況はそれほど悪くないので、こちらの方に集中して収益を上げることに力を入れました。結果、昨年グループ全体としては過去最高収益に。建設業も数年前までは減益が続きましたが、昨年から回復し始めています。これは、世の中がコロナ禍で、家にいる時間や家族と過ごす時間が長くなったので、今まで「家を建てたい」「改築したい」と思っていた潜在需要が見出されてきて動いたのかなと。住環境を考えるきっかけになったのだと思います。
いい意味で我を通す、後継ぎの在り方。
どう継がせるかではなく、どう継ぐか。
実は副社長就任の直前、両親に「俺がやりたいようにやる」宣言をしたんですよ。そこで「私たちは、お客様の暮らしづくりを通して、幸せを創り出します。」という企業理念を新たに掲げました。「ここから先は俺の人生だから俺のやりたいような会社を経営するし、この会社には残すべき価値があると思うから自分の人生を捧げてやりたい。それでも自分たち(両親)の理想を押し付けるんだったら、継がずに起業するよ」と告げると父は、僕の想いを汲み「いっさい口を出さない」と決めてくれて、今はこちらが相談したときだけアドバイスをくれます。
僕は承継というのは先代がどうあるべきかではなく、「後継ぎがどうあるべきか」が大事だと思っています。成果を出して、周りに「もう次に継いだ方がいいよ」と言われるようになるのが理想的。起業家たちからは「後継ぎっていいよな」と言われますが、やらなきゃいけないことが多いから実は大変。苦手と向き合う場面も必ず出てくるし、時代によって常識は変わるから、それを踏まえて決断しなければならないことも多い。たくさんの壁を乗り越えなきゃいけませんが、乗り越えてきた今は、仕事がめっちゃ楽しいです。
アトツギへのMessage
「志」がないと継げない!
親や周囲を言い訳にせず、自分で成果を!
後継ぎって、継ぐ理由なんて実はないんですよ。なぜその会社に自分の人生をかけなきゃいけないのか。言い換えれば、継ぐと決めたならその理由は「志があるから」以外に何もない。僕も継いでみて、つくづくそう思います。当然、社会には家業を継ぐより良い選択肢はたくさんあるので。でも、「この会社を残したい」「この会社を通して成し遂げたいことがある」など、家業が存在し続けることに価値を感じ、その価値のために頑張れると思って初めて継げるんです。
心がけるべきは、先代ではなく「自分がどうあるべきか」。継ぐほうが成長して周りを納得させることが大事。後継ぎと会うと、親がこうだからできないとか、親のせいにして話す人も多いですが、僕は「自分でやってみれば」と言いたい。
今後も後継ぎが注目されることが増えてくると思いますが、後継ぎは、きちんと成果を出すことが重要。成果というのは何か形を残すことであり、社員に対してもきちんと感謝を形にすること。仕事をすることって、次の代にバトンを繋ぐことですから。僕はちゃんと、繋ぎたいと思っています。
- 田中裕基
- 1982年、札幌市生まれ。日本大学工学部建築科で建築を学ぶも、卒業後は飲食業界に飛び込み、フードコンサルティング会社に4年勤務。2009年に三五工務店に入社後は2016年4月に副社長、2020年に代表取締役社長に就任。2016年、株式会社35designを起業し、2021年からはグループ会社・株式会社リヴスタイルを含む3社代表を兼務。40代以下の経営者が集まる「経営者の会」を主宰。
会社概要
- 建設業
株式会社三五工務店 - 札幌市北区北34条西10丁目6-21https://www.kk35.jp/
- 祖父・田中藤雄氏が1958年に個人創業し、1973年に株式会社三五工務店に。「いごこちのいい家を作る幸夢店」として、お客さまの幸せを恒久的に守るために真摯な家づくりに取り組み続け、2018年に60周年を迎える。「SDGs(持続可能な開発目標)」に賛同した企業として社会にも貢献。グループ会社に、2020年に設立した住宅の建築・不動産売買・仲介業を行う株式会社ドリホ(2017年に株式会社リヴスタイルに社名変更)と2016年に設立した店舗デザイン・工事からカフェの運営・家具販売までを手がける株式会社35designがある。