(株)大喜館 取締役専務 工藤 貴大 氏

本格サウナ・旧料亭・旅館の活用によるマチの活性化を提唱し、「アトツギ甲子園」ファイナリストからアンバサダーに。

株式会社大喜館 取締役専務 工藤 貴大 さん

“妖怪”と呼ばれた“すごい祖父”に
知らず知らず感化された子供時代

 「大喜湯」は、祖父(板井 進 氏)が平成14年(2002年)に開業しました。全国的なスーパー銭湯ブームにおける釧路での先駆けで、それはもう当時は大盛況だったと聞いています。水回り系の設備会社も経営しているので、温泉施設もお手の物だったんでしょう。今でも、メンテナンスを自前でできるのがウチの強みです。

 当時、僕は中学生で、先生や友達から「行ったよ。おまえのおじいちゃん、あんなの造ってすごいな!」って言われて、「よくわかんないけど、おじいちゃん、すごいんだな」と思った記憶があります。

 のちに、祖父が釧路の経済界で “三大妖怪のひとり”と呼ばれていると知りました。嘘か本当か分かりませんが(笑)。実際、凄味もあって、取引先などから恐れられてもいて。そんな爆裂に影響力のある祖父を身近に育ったため、自然と何かしら感化されていたようで、子供心ながら「負けてらんないな」みたいな漠然とした闘志のようなものがありましたね。

 とはいえ、家業を継ぐ気は全くありませんでした。「東京でひと花咲かせるぞ」という野心を胸に上京し、結局は、都会の生活に心身ともに消耗して挫折。社長(祖父)から「ぷうたらしてるなら一回帰ってこい」と言われて、戻ったのが23~24歳の時です。

インタビューの様子

熱意と挫折、挑戦と失敗。
ボロボロになるまで闘い続けた年月。

 春採店に勤務した2年間は、“社長の親族”と見る目もあるからしっかり働こう、と意識して励んでいました。でも、隙あらば逃げようとはしてて(笑)。

 そんな時に温浴施設と異業種を融合させた埼玉県大宮市の“おふろカフェ”の記事を見た時、「これだよ!」と火がつき、「働かせてください!」と同社に猛アタック。熱意が通じて就職できました。が、3か月で辞職。当時池袋に住んでいた友人の家に居候して大宮へ通勤していたのですが、満員電車の通勤だけで疲れ果ててしまい、もう限界でした。

 そこでその友人と、IT系の会社を起業。仕事はかなり忙しく入ってきたのですが、収入的には極貧状態で、僕がみるみる体調を崩しまして。血便しか出ないような毎日で、友人に「タカヒロ、死ぬんじゃない?」と言われるくらいボロボロに。療養しようと、友人と会社ごと釧路に移ったのが平成27年(2015年)の1月です。

 昭和店で家業に就きつつ、その会社も続けていたら、実に順調にキャッシュが貯まりまして。「飲食店をやろう」と決めて、祖父が繁華街・末広町に所有し、かつては釧路三大料亭の1つに数えられた「喜水」の一区画を借りて焼肉店を始めました。これが、当時25歳の僕の、釧路での新事業の第一歩です。それだけに、かなり強い想いを込めたスタートでした。結果は、10か月で閉店という “釧路史上最速で潰れた店”というレコード(記録)を樹立しましたね(笑)。

 これらの日々を通し、意志だけじゃダメだ、継続が大事なんだということを学びました。

支配人として釧路での新スタート。
フィンランド式サウナの導入に尽力。

 今、昭和店でしている支配人業は、店舗管理がメインです。バックオフィス業務や取引先との商談、細かいところでは館内POP作りや備品管理などですね。

 店は、早い時間帯は60代〜70代のお客様が多く、夕方から夜にかけて徐々に若い世代が増えていきます。おかげさまで、最近はサウナを目当てに足を運んでくださるお客さんが多いですね。土日は、朝6時のオープンから1時間ほどがピークで、100人前後のお客さんが来店します。

 釧路に帰ってきた頃から、世間でサウナが流行り出したんですよ。ストーンに水をかけてロウリュする本格的なフィンランドサウナが話題で。でも、釧路にはない。じゃあ大喜湯に作りたい、と社長にプレゼンしました。

 2年かけて説得し、令和2年(2020年)に女性風呂へフィンランド式サウナを導入したところ、反応が良く、これまでとは少し違う客層の広がりを感じました。翌年には男性用にも導入しました。その際、社長(祖父)の「これを活用できないか」という一言をきっかけに、海上コンテナをサウナ室として転用しました。結果的に、この試みが話題を呼びました。

 令和6年(2024年)5月にサウナを2階に増築してから、道外のお客様もすごく増えた印象です。今では、源泉100%の天然温泉と、男女2種類ずつ(男性は最大4種)のサウナが楽しめるスポットになり、釧路空港へ行く途中で寄り道して入りにくるお客さまも多くいらっしゃいます。

 今になって思うと、この「サウナ」が入り口になって、だんだん家業を好きになり、自分の事業として伸ばしていきたいと本気で思い始めた気がします。

大喜湯店内

すでに後継ぎの自覚はあれど、
「まだ時ではない」とあしらわれ……

 30代に入り、アトツギとしての自覚や覚悟は、少しずつ持つようになりました。ただ、うちは少し事情が特殊で、社長である祖父はいまも91歳で現役。株式や相続についても、まだ具体的な話は始まっていません。

 社内のことを家族にすら多く語らない人なので、後継の話をしても「時が来たら話す」の一点張り。「まだ言えない」と言われ続けています(笑)。

 でも、いつ継ぐことになっても対応できるよう、自分なりに準備は続けてきました。現場に関わる中で、会社の課題も少しずつ見えてきています。

 温浴施設が2軒に旅館、料亭と、設備面は一定の土台があります。その分、運営やサービスといったソフト面を磨く余地は、まだ大きいと感じています。

 例えば、接客のあり方を少し見直すことや、旅館の予約にOTAを活用することなど、小さな改善の積み重ねで変えられる部分は多いと感じています。現在、旅館の方は70代の女将が多くの業務を頭の中で把握しながら切り盛りしている状態ですが、そこを仕組みとして整理できれば、現場の負担を減らしつつ、運営の効率も上げられる余地があると思っています。

 小学生の頃から続けてきたサッカーの経験も、今の自分に少なからず影響しているのかもしれません。当時は体格が大きかったこともあり、上級生のチームに入ったり、釧路選抜でキャプテンを任されたりすることがありました。目立つ立場は決して得意ではなかったのですが、求められる役割に向き合う中で、知らず知らずのうちに鍛えられてきた部分はあるのだと思います。

 今でも地域の経済団体などでさまざまな人たちと関わる場面で、当時の経験が活きていると感じることがあります。

第5回「アトツギ甲子園」に初参加し、
ファイナリストとして決勝へ。

 「アトツギ甲子園」のことは、正直それまで知りませんでした。標茶町でゲストハウスを営む達川慶輔さんから、「後継者が対象のピッチの大会があるらしい。料亭や旅館でビジョンがあるなら、出てみたら?」と声をかけてもらったのがきっかけです。深く考えずに「じゃあ、出てみようかな」と軽い気持ちで参加を決めたのが、令和6年(2024年)11月でした。地区予選を前に、北見での合宿に参加し、ほかのエントリー者とともにプレゼンを磨いていく中で、自分が考えてきた構想をあらためて言葉にする時間になりました。

 「75年の時を経て実現する 釧路三大料亭再生プロジェクト」と題したプレゼンで地区予選を突破し、決勝大会へ進出しました。料亭「喜水」をインバウンドにも開かれた宿泊型複合施設として再生し、釧路のまちの活性化につなげていく──そんなビジョンです。

 繁華街での飲食事業は結果的にうまくはいきませんでしたが、その経験があったからこそ、末広という街の持つ強さや可能性に気づくことができました。東北海道でも有数の繁華街であるこの場所を、自分の事業とどう重ねていくか。その視点は、今回の構想にもつながっていると思います。

アトツギ甲子園出場

会社に、外の風を入れ続けるために
知るために、まず自分が動く

 予選大会では、エア・ウォーター北海道株式会社から「エア・ウォーターの森賞」をいただきました。決勝大会後には、事業に関心を持ってくださった方々から声をかけていただき、オンラインで話をする機会も沢山いただきました。

 一方で、社内での反響はありません。それは、自分が何を考え、どこに向かおうとしているのかを、十分に共有できていないからだと思っています。

 だからこそ、まずは自分が外に出て学び続けることを大事にしています。北海道は地理的な制約もあり、どうしても他地域の取り組みに触れる機会が少なくなりがちです。最近は熊本県や香川県に初めて訪れたのですが、実際にまちづくりの現場を歩きました。

 ネットや情報だけで分かったつもりになるのではなく、自分の目で見て、肌で感じる。そこで得た気づきやヒントを、少しずつでも会社に持ち帰っていけたらと思っています。そうした積み重ねの先に、自然と人が動き出すような体質の組織になっていけばいい。今は、そんな距離感で会社と向き合っています。

 また、今年(2025年)7月、「アトツギ甲子園」の地域アンバサダーに任命していただきました。ぜひとも、PRに尽力していきたいと思っています。

 今思い出しても、決勝大会(東京)の雰囲気には圧倒されましたね。会場のスケールや、名前入りののぼりがずらりと並ぶ様子を目の当たりにして、思わず気持ちが引き締まりました。特別な場に立っている実感がありましたね。

 北海道からはこれまでもファイナリストは出ていますが、最優秀賞にはまだ届いていません。そうした状況も踏まえながら、自分自身も挑戦を続けつつ、アトツギ甲子園のアンバサダーとして、次に挑戦する人たちを後押しする役割も果たしていけたらと考えています。

アトツギへのMessage

「アトツギ甲子園」に挑戦して、
全国のアトツギ仲間たちと切磋琢磨を!

 「アトツギ甲子園」の最大の魅力は、全国の同じような年代・境遇の人たちが一堂に会すところです。全国には、とんでもない規模で家業を継いでいる人や、まだ形になっていなくてもすごい構想を持っているアトツギもたくさんいる。自分の地域だけ見ているとわからないことも、全国に行くと知見が広まるし、そういう人たちとも切磋琢磨できます。

 研修・支援事業(ACT)など、サポートのプログラムがあるのも「アトツギ甲子園」のいいところ。39歳以下で、新しいことにチャレンジしたい人は、ぜひ飛び込んでみてほしい。自分が思い描くことを資料に落として、人前で発表する。そのプロセスを通じて、“めっちゃいいじゃん”と共感してくれる人や、“それならこういう人と繋げられるよ”と声をかけてくれるメンターに出会えることがあります。

 アトツギという立場は、どうしても一人で抱え込みがちです。だからこそ、外に出て、いろんな挑戦をしてみてほしい。それが僕のエールです。

工藤 貴大
工藤貴大
1990年、釧路市生まれ。釧路江南高校を卒業後、帝京大学経済学部へ。帰郷して、釧路温泉株式会社が運営する「天然温泉 大喜湯 春採店」に勤務後、平成25年(2013年)埼玉県の温浴施設コンサルタント会社に転職。退職後、友人とIT分野を中核とした業務を展開する株式会社iceを起業。平成27年(2015年)に拠点を東京から釧路に移し、同時に株式会社大喜館に入社。現在は取締役専務として、「天然温泉 大喜湯 昭和店」の支配人を勤める。本格フィンランド式サウナの導入に尽力したほか、令和4年(2022年)には「釧路サウナ協議会」を設立。令和7年(2025年)「アトツギ甲子園」第5回大会に参加してファイナリストとなり、同年「アトツギ甲子園」アンバサダーに就任。
会社概要
宿泊業・飲食業、サービス業
株式会社大喜館
釧路市昭和中央5-11-8https://www.taikiyu.com/
昭和44年(1969年)、35歳だった板井 進 氏(現在91歳)が釧路市内にて給排水や空調の施工を手掛ける大同工業株式会社を創設。その後、株式会社 大喜館、釧路温泉株式会社なども創設に至り、市内中心部に料亭「喜水」を取得する他、源泉100%の天然温泉を持つビジネス旅館「大喜館」を開業。平成14年(2002年)には、スーパー銭湯「天然温泉 大喜湯 昭和店」をオープンし、2年後の平成16年(2004年)に2号店となる「天然温泉 大喜湯 春採店」をオープン。平成30年(2018年)に営業形態を“銭湯”に変更し、令和2年(2020年)以降、昭和店にフィンランド式サウナを完備したことで釧路に人気スポットを創出した。施設メンテナンスを自社で行える強みを持つ。