- (株)相沢食料百貨店[稚内市] 常務取締役 福間 加奈 氏
100周年を迎える老舗スーパーとして、
地域を支える拠点に
まず100周年までは私が!
でも鬱々とした日々が続き……
私が27歳で稚内市に帰ってきた当時、もう人口の中心は南側の新興住宅街に移っていて、当社の店舗があるJR稚内駅エリアはすっかり寂れていました。市役所や病院が休みだと、誰も歩いていないくらい。社長である父も、スーパーを自分の代で畳むつもりだと言う。でも、このあたりはお年寄りが多く、うちがなくなったら困るようなお客様も多くいらっしゃいます。当時勤めていた会社の社長夫妻に故郷のために役に立てる人になりなさいと背中を押してもらい、「100周年までまずはやってみよう」との想いが生まれました。
最初は大変で、そもそも、どうやって集客したらいいのかもわからず、特売のチラシを入れてみても、まるで効果なし。経営や小売の知識がないため実力不足は明らかで、従業員から「後継者として、ほんとにできるのだろうか」という視線を感じたり。失敗続きで、何をしたらいいか、誰に聞いたらいいか、ネットワークもないから全くわからない状態でした。しかも帰ってきた年が創業以来、初めての「赤字」だったんです。やってもやっても赤字という徒労感が情けなくて、鬱々とした日々を過ごしました。
ボランタリー・チェーンに加盟したことで、
ようやく「やれる」自信に。
手探りの経営に光が見えたのは、スーパーマーケットが集結してできた協同組合セルコチェーンというボランタリー・チェーン(商品の共同仕入れや開発、社員研修等を行う団体)の存在を知り、加盟して、いろいろご指導を受けてからですね。コンサルに来て下さった方から指導を受けて、毎月、棚卸をして数字を突き詰めて行き、利益を生むという当たり前のことがようやくわかってきました。業績が数字という形でだんだん改善していくのを見て初めて、「やれる」という自信が生まれました。
「店舗も少し手を入れたほうがいい」とのアドバイスもされましたが、既に店舗の新築を視野に入れていたので、壁紙を変えたり、多目的トイレの設置など、できる範囲でリニューアル。すると、若いお客様が段違いに増えて。見た目は大事だなあと思いました。さらに店の印象が変わったら、新卒・高卒の若い子も入社してくれるようになりました。
品揃えの面でも、まずは他の店にない商品で存在をアピールすることに。大手やチェーン店と同じことをしても、向こうはバイイング・パワーがあるので絶対に価格は安いし、同じ土俵に立てない。であれば、当店ならではの独自的なことをするしかない。その一端としてコストコ・フェアをやったら、反響がありました。以来、スイーツや精肉フェスなど他店にはない販促イベントを打ち出し、若い方たちにも「面白そうなことをやっているスーパー」として認知されるようになりました。
マチを残していくために、
地域の拠点として利益創出に取り組みたい。
100周年を目処に、店舗の近隣への移転新築を考えています。
どういう店であるべきかを考えるとき、この先、人口が半減していくことを忘れてはいけない。そのときこのエリアが生き残るためには、地元個人商店の方々と一緒に商品開発をするなど、それぞれの個性を活かして新たな利益の創出に取り組まないといけません。マチの豊かさとは、魅力的な個店がいくつあるかということだと思うんです。それらが減っていかないようにするために、うちがハブ(拠点)になれる存在でありたい。
父は稚内駅前の再開発事業の理事長を務めるなど本業以外の仕事にも長年多く従事してきましたが、これからは地域には若手が少ないので、商店街のことから学校の廃校問題からPTAから何でも“お役”が降ってきます。私自身は地域の未来のために自分がすべきことを真剣に考えていきたいと思います。
観光客減による相場安のウニで
「5,000円セット」が大当たり。
コロナ禍は、スーパーという業種にはあまり影響がなく、市内には感染者も出ていないので切迫感は少なかったですね。でも多大に影響を受けた飲食店が多かったので、「地域経済を回そう」のスローガンで、各飲食店の個性を活かしたハンバーガーやカレーのフェアを企画。でも「1個1,000円」という値段設定で、従業員からは「そんな高いの売れないのでは」との声もありましたが、蓋を開けてみたら大行列でした。
今のお客様は、安さだけじゃなく、考え方に共感するとか、応援したいといった価値観で商品を手にしてくださいます。だからこそ、オリジナリティーのある商品や、おいしさの背景を我々がうまく表現して発信できれば、それがお客様の心に伝わります。
そして、コロナ禍は、ずっとやろうと思っていたネット販売に踏み出すきっかけにもなりました。本来、飲食店や宿泊業で消費されていたウニが供給過多となっており、それをタコとホタテと一緒に「5,000円セット」として売り出したら飛ぶように売れて(笑)。 ネットは使えないけど買いたいというお年寄りもいらっしゃって、店舗でも好評でした。
見守り支えてくれた父、
食への信念を教えてくれた夫。
社長である父はおそらく、私が帰ってきただけでも嬉しかったのではないかと思います。最初のうちは私がけっこう発注のロスを出してしまい、売れ残った調味料の在庫をずいぶん持ち帰っていましたが、どんどん溜まっていくのに、父は呆れながらも好きにやらせてくれていました。商品の陳列も、父が夜遅くまで手伝ってくれました。
やがて、展示会や交流会、スーパーの視察などで東京出張に行くうちに主人と出逢いました。彼は通販会社で商品開発にも携わり、「食品と食の在り方」に真剣に向き合う人です。
実は私は、それまで自分の仕事に「信念」を感じていなかったのですが、彼と出会ったことで、売る立場として、身体をつくり命をつなぐ食の大切さをもっと真剣にお客様に伝えていくべきだ、と気付きました。地域に役に立つこと、お客様にいいものを伝えることを信条にしてやっていこうと。
すると自然に他分野で地元の健康に携わる方たち…例えばヨガのインストラクターなどと知り合って、「一緒にヨガ教室やりましょう」となりました。それに加えて主人が食の勉強会などを開いたりもしていますし、毎月さまざまな催しをして地域の皆さんに発信を続けています。
アトツギへのMessage
チャンスがあれば継ぐべき。
そして、負担にならないよう次に引き継ぐこと。
若い方は、事業の大小よりも、その事業が自分のポリシーや、本気でやりたいことに合っているかどうかを大切にしますよね。もし家業がそれにフィットしているなら、チャンスだと思って絶対に継ぐべきだと考えます。
私は「自分の代で完結できる範囲内で投資する」と決めています。新店舗ができて新たなスタートを切ったとしても、何かあれば「自分の代で終わらせる」という責任において挑戦するつもりです。
もし家業を継承するなら、いかに「負担にならないように引き継ぐか」も大事だと考えています。
- 福間加奈
- 1982年、稚内市生まれ。札幌の高校を卒業後、東京でアパレルメーカーに就職。2009年に地元に戻り、株式会社 相沢食料百貨店入社。2012年に常務取締役、就任。中心市街地の衰退、コンビニの躍進、ネット販売の台頭など商業を取り巻く環境が変容する中、老舗スーパーの存在意義を再考。モノを売るだけでなく地域住民が集まる場という特性を活かし、毎月、料理講習会や食品添加物などを学ぶ食の勉強会「美味しい教室」をはじめ、「バランスボール教室」「あいざわヨガ教室」等を開催。
会社概要
- 小売業
株式会社相沢食料百貨店 - 稚内市中央3丁目5番8号https://www.aizawafood.com
- まもなく創業100年を迎える老舗スーパー。1921年に青果卸業として始まり、1935年に株式会社に。現在はJR稚内駅前にて旧デパートの建物を活用し営業。地域の食文化に根ざした鮮度のいい食材、全国各地の生産者の商品を選りすぐって届けるなど、他店との差別化を進める。