- アイビック食品(株)[札幌市] 代表取締役社長 牧野 克彦 氏
時代を読んで食品に参入。
北海道の食のDX拠点として五感体験や発信を可能とした「GOKAN~北海道みらいキッチン~」で、さらなる未来を描く。
父の〝素直さ〟と商売の勘から、
釣具会社に食品部門が誕生。
父は一番尊敬する経営者です。非常に素直な経営者だと思っています。父は他の経営者仲間から経営に関する話を聞いて「そうすべき」と思うと、すぐ実践するタイプ。人との話から、商売の「勘」みたいなものを持ち帰ってくる能力がすごいんですよ。
当社の誕生も、20数年前に父が経営の師と仰ぐ卸売業のある経営者(当時)から「問屋の未来の可能性は薄い。小売に力を入れたい」と打ち明けられたことが発端。その経営者が小売店を立ち上げる際「これからは売る力か作る力だ。中間は厳しい。貴方の会社は衣食住以外の趣味の分野を扱う問屋なんだから、間違いなく厳しくなる」と教えてくれた。当時、家業の釣具卸売は絶好調で売上は過去最高だったのに、父は着々と問屋からの脱却を考え「何か衣食住に関わるチャンスはないか」と探していたんです。
そんなとき、大手企業の社食を手がける会社が、内製化していたタレの部門を閉鎖することになり、その会社の社長と友人だった父は同社を見学に。結果、そこを引き受けて食品事業部が生まれ、数年後、売上が1億円に達した時点で「アイビック食品」が誕生したわけです。
継がない「契約書」に捺印。
「新規は別」と父が掟破り!
会社経営は私には無縁のはずでした。なぜなら我が家にはしきたりがあり、姉も兄も私も15歳になると父から実印を贈られ、区役所で実印登録した後に「契約書」に捺印するんです。内容は「継ぐのは長男」というもの。
当然「後継ぎは兄」と自覚しましたから、私は道内の家電メーカーに就職。大型量販店の担当になり、大手の倒産と北海道に進出した業界急先鋒の企業がトップにのし上がる姿、両方を間近で見る貴重な経験をしました。
しかし次の担当先が決まった直後、父から一本の連絡がありました。食品部門を始めたところ、秋葉原で大ブームの「ラーメン缶」のタレを一手に受注したら売上が2億円に跳ね上がり大忙しになった。「面白そうだろ〜、戻ってやらないか?」と。15歳の時に捺印した契約書に関しては、「あれは継ぐ話だから。新規は関係ない」と掟破りです。新しい担当先を2周するまでは辞めたくないと主張して、結局2年後に戻りました。
ボロボロの会社の立て直しに奮闘。
「まずは騙されたと思ってやりなさい」
戻ってみたらブーム終了でラーメン缶の受注はゼロ。社内は儲かっていた時と違い、殺伐とした有様でした。私は平社員として各部署を経験しつつ再生に取り掛かりましたが、唖然とすることばかり。営業にパソコンがなく、メールアドレスは会社に一つを全員で共有、伝票は手書き。工場の衛生管理も食品会社のものとは言いがたい状態。案の定、行政機関が検査に入った際には、私はまだ右も左も解らない状況なのに経営者側の人間としてボロボロに責められました。
父に「こんな会社なら、ないほうがいい」と食ってかかると、「食品会社として維持しなくても、数年後、何屋になっていてもいい。ただ、衣食住に関わり、作る力・売る力で発展させられることが重要だ」と言われました。さらに父は「おまえが欲しい欲しいと言ってるものは全部、売上が解決してくれるぞ」と言い、利益が出れば、私が今「ない」と嘆いている人材も環境も全て手に入るから「とにかく10年間で売上10億円の突破を目指して頑張ってみろ」と。
父から「経営者の使命は存続させることに尽きる。どんな形になろうとも存続させ、発展させろ。まずは騙されたと思ってやりなさい」と言われたら、私も素直なので、「そうか」と思ったんですよね。
それを機に誰を信頼していいか、誰が発展を妨げているのか、そしてこの会社に何が起きているのかを1年かけて整理しました。
商品について考えると、北海道のタレの業界地図はラーメンもジンギスカンも横綱級の会社があり、うちは、そのずっと後ろ。自分なりに勉強した中で、我々のような会社は、特化したモノづくりで小さな市場でシェアを多く取るニッチトップがいいと解った。そこで、昆布だしに着目。北海道ならではの食材でありながら、大きな競合先もなく、まだ市場が成熟してない。これを進めて行こう!と決めて邁進しました。
意識変化のターニングポイントは
「経営塾」「未来塾」でした。
意識変化のターニングポイントは、2011年の「道銀経営塾」第11期への参加です。少しずつ会社が成長し得意気な時でしたが、行ってみたらそこには何億、何十億円という金額を動かす同世代の後継ぎばかり。同年代なのに圧倒的な格差を実感し、凄まじい衝撃を受けました。
二つ目の契機は、2016年の「北海道経営未来塾」第1期への参加。そこには北海道を代表する各業界・有名企業の現役トップたち。私は売上を6億円から10億円へと伸ばしていた時で、慢心ではないが自信を得ていた。ここに参加していなかったら10億円達成で終わっていたと思いますが、まだまだ上のステージがあることを強烈に感じました。
特に良かったのは、ゲスト講師のレジェンド経営者たちの経験談を聞くことが出来たことと、歯切れよく端的に質問に答えていただけたことです。「海外戦略、ヘッドハンティング、M&Aは、マルですかバツですか?」と訊くと、「すべてマルです」と断言。知見のある方が言うことは素直に取り入れますので、これらは全て実行に移しました。
顧客の皆様の後方支援として、
共に学ぶ拠点として、「GOKAN」誕生。
父と喧嘩はないですよ。私が何でも「ハイわかりました」と言うからです。最終的にやるかやらないかは私が決めますが、先代の言葉を何でも頭から否定して喧嘩するというのは「違う」と思う。それを噛み砕いて、今の時代にマッチさせて実行・遂行するべきです。
父から、全国にない展示室を作ってという指示があった時も、ハイわかりましたと言って、普通の展示場ではなく、デジタル技術を駆使した「GOKAN〜北海道みらいキッチン〜」を創り上げました。「壁一面を商品陳列棚にしましたよ」と報告したら「そうか!」と喜んでいたものの、実際に見てみたらイメージと違ったようですが、お客様から高評価がたくさんあったので、満足しているみたいです。
「GOKAN」は、北海道の食のDX拠点として、お客様の商品開発や販売を後方支援する施設で、キッチンスタジオ、デジタルサイネージ、プロジェクションマッピング、香り発生装置、AR(拡張現実)、VR(仮想現実)など、様々な設備を有し、文字通り五感で「食」を感じることができる拠点です。商品開発の打ち合わせや、料理撮影、試食会、イベントなどさまざまに利用していただけるほか、商品の見せ方・売り方などの成功事例の創出にも取り組んでいます。
一方で、逆に私たち自身もお客様の手法を見て学ばせていただきながら、我々は製造だけではなく、お客様の販売力だけに頼らず、一緒に販売拡大を考え、何かを作り上げたり、共に売り方を考えていけたらと思っています。
アトツギへのMessage
基盤があるありがたさには感謝を。
時代に応じて革新するのが後継者の仕事です。
当初は「こんな会社なら、なくていい」と言いましたが、今は、100%あったほうが良かったと思っています。起業・創業する労力、「産み」の苦しみはとてつもない。私なんかもう完全に割り切っていて、周りの創業社長から「いいよねー、母体があってねー」と言われると「いいでしょ!私そういう星の下に生まれたラッキーな人間なんだわー」と言っています(笑)
基盤のあるありがたさには、素直に感謝すべきとアドバイスしたいですね。どんな形であれ、形があって引き継ぐのは幸せなことなんだよって。ただ、その基盤を生かして、新しく変化させたり、今の時代に合わせたりするのは、次の世代の仕事。良くするも悪くするも、継ぐ側の問題です。
- 牧野克彦
- 1977年、札幌市生まれ。日本体育大学を卒業後、東芝E&S北海道(現・東芝マーケティング)に就職し、大手量販店を担当。2008年に退職し、アイビック食品入社。営業職の肩書で各部署を経験しつつ、業務改革を実現。北海道銀行「道銀経営塾」や未来経営研究所「北海道経営未来塾」で研鑽を積み、2020年に社長就任。以後、より加工度の高い惣菜業への参入や海外展開の推進、グループ連携ビジネス、「GOKAN〜北海道みらいキッチン〜」開設を手がける。
会社概要
- 食品製造業
アイビック食品株式会社 - 札幌市東区苗穂町13丁目1-15http://ibic.info/
- 2022年9月で100周年の釣具アウトドア総合卸売業、株式会社アイビック(1922年創業)が、株式会社果林を吸収して果林事業部を発足後、2002年12月にタレやだしなどの調味料製造、アイビック食品株式会社として設立する。2013年に東京、2019年には中国に進出、2021年にはタイの会社と業務提携。同年9月には、自社商品の展示場と顧客の商品開発を支援する拠点として、デジタル技術を駆使した「GOKAN〜北海道みらいキッチン〜」を開設し、話題に。